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第13話ふるさとまで、あと少しだったヤマトタケルの最期

病をおして能煩野にたどり着いたヤマトタケルは、ふるさと大和を思う歌を遺し、父の組紐をわが子に託して息をひきとる。大きな白い鳥となって飛び去る英雄を、家族は田・竹原・海・磯と歌いながら追い続ける――第2部完結編。

19ページ全話無料・会員登録なし

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次回予告 · 制作中第14話 神の声を聞く皇后 ―海を渡る船団―

神の言葉を疑った王は、琴を弾きながら息絶えた。残された皇后は、お腹の子と神の声だけを頼りに海へ漕ぎ出す

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この話のもとになった神話

ヤマトタケルの最期と白鳥伝説 あらすじ|古事記「倭は国のまほろば」

元の神話のあらすじ(古事記)

伊吹山の神と戦ったあと重い病にかかったヤマトタケル(古事記では「倭建命」と書きます)は、弱った体でふるさとの大和(倭)をめざしました。三重村のあたりでは「足が三重に折れ曲がったようにくたくただ」となげきます。古事記は、この言葉が「三重」という地名のもとになったと伝えています。

能煩野(のぼの)にたどり着いた命は、ふるさとを思って歌をよみます。よく知られた「倭は国のまほろば」で始まる歌で、山々に囲まれた大和こそいちばんすばらしい国だとたたえる内容です。続けて、命が助かる者は平群(へぐり)の山の樫の葉を髪にかざれと歌い、さらに、わが家のある方角から雲がわき上がってくると歌いました。そのとき病が急に重くなります。乙女の寝床のそばに置いてきた剣を思う歌を歌い終えると、命はそのまま息をひきとりました。

知らせを受けて、大和から后たちと御子たちが駆けつけ、御陵(お墓)を作ります。家族がまわりの田をはいまわって泣いていると、命はとても大きな白い鳥(八尋白智鳥)に姿を変えて天へ舞い上がり、浜の方へ飛んでいきました。家族は笹の切り株で足を切っても痛みを忘れて追いかけ、海に入っても、磯を伝っても歌い続けます。白鳥は河内の志幾(しき)にとどまり、そこにも御陵が作られて「白鳥御陵」と名づけられました。けれども白鳥は、そこからもまた天高く飛び去っていきました。

主な登場人物

主人公のヤマトタケルは景行天皇の御子で、各地をしずめる旅の帰り道に命を落とします。后たちと御子たちは、この場面では名前も人数も書かれていません。死を都に知らせる使者(駅使)も、名前は出てきません。

最後の歌に出てくる「乙女」と「剣」は、この場面の本文には名前が出ません。ただ、前の場面から読むと、尾張の美夜受比売(みやずひめ)と、伊吹山へ向かうときに彼女のもとに置いていった草那芸剣(くさなぎのつるぎ)のことだとわかります。また古事記は話の最後に、七拳脛(ななつかはぎ)という人物が旅のあいだずっと料理番として仕えていたと書き足しています。

この神話が伝えていること(文化・時代の背景)

この場面は、物語の中に歌がたくさん組み込まれているのが特徴です。古事記はふるさとを思う歌を「思国歌(くにしのびうた)」と呼び、家族が白鳥を追いながら歌った四首は、その後も天皇の葬儀で歌われてきたと書いています。英雄の死の物語が、古代の葬儀の歌と結びついて伝えられていたことがわかります。

人が死んだあと、その魂が鳥になって飛んでいくという考え方が古代にあったのではないか、という見方もあります。ただし、なぜ白鳥になったのかを古事記ははっきり書いていません。なお日本書紀では、白鳥が能褒野・大和の琴弾原・河内の旧市邑の三か所にとどまり、それぞれに陵を作ったことになっていて、古事記とは筋が少し違います。能煩野の墓を三重県亀山市の能褒野王塚古墳、白鳥御陵を大阪府羽曳野市の軽里大塚古墳とするのは後の時代に決められたもので、古事記そのものには書かれていません。

漫画版で変えたところ

漫画では、ヤマトタケルが父の組紐をわが子に託して息をひきとります。この組紐の場面は漫画で作ったもので、古事記にはありません。能煩野の景色や天気、季節、歌うときの表情、白鳥に変わる瞬間の見せ方なども、原典には書かれていないので漫画で描き足しています。

一方、四つの歌を歌いながら田・笹原・海・磯と白鳥を追い続ける家族の姿は、古事記の流れのとおりです。原典にない部分は、物語の気持ちを伝えるための演出として楽しんでください。

漫画で読むには

第13話は「古事記 中巻 ―英雄たちの時代―」第2部の完結編です。兄との争い、熊曾建の討伐、弟橘比売との別れなど、ここまでの旅を読んでから最終話を読むと、「ふるさとまで、あと少しだった」という題の重みがよりはっきり伝わります。全話無料で、会員登録もいりません。気になった方は、第1話から通して読んでみてください。

この話の登場人物

倭建命(やまとたけるのみこと)
景行天皇の御子で、各地をしずめる旅の帰りに能煩野で亡くなり、白い鳥になって飛び去る英雄。
后たち(きさきたち)
知らせを受けて大和から駆けつけ、泣きながら白鳥を追って四つの歌を歌う人々で、原典に名前は出ない。
御子たち(みこたち)
后たちと一緒に白鳥を追ったヤマトタケルの子どもたちで、名前も人数も書かれていない。
美夜受比売(みやずひめ)
尾張の女性で、ヤマトタケルが最後の歌で思った剣を預けた相手(この場面には登場しない)。
七拳脛(ななつかはぎ)
久米直の祖で、旅のあいだずっと料理番としてヤマトタケルに仕えた従者。
八尋白智鳥(やひろしろちどり)
ヤマトタケルが死後に姿を変えた、とても大きな白い鳥。

よくある質問

ヤマトタケルはどこで亡くなったの?

古事記では、伊吹山で病にかかったあと、能煩野(のぼの)で亡くなったとされています。現在の三重県亀山市のあたりとされ、能褒野王塚古墳をその墓とする説があります。

「倭は国のまほろば」とはどういう意味?

「大和はいちばんすばらしい国だ」という意味で、ヤマトタケルが死の直前にふるさとを思ってよんだ歌の始まりです。山々に囲まれた大和の美しさをたたえています。

ヤマトタケルはなぜ白鳥になったの?

古事記は、なぜ白鳥になったのかをはっきり書いていません。亡くなった人の魂が鳥になって飛んでいくという考え方が古代にあったのではないか、という見方もあります。

白鳥御陵はどこにある?

古事記では、白鳥がとどまった河内国の志幾に作られたとされています。現在は大阪府羽曳野市の軽里大塚古墳が宮内庁によって白鳥陵と定められていますが、これは後の時代の比定です。

古事記と日本書紀でヤマトタケルの最期はちがうの?

大きな流れは同じですが、細かいところがちがいます。日本書紀では白鳥が三か所にとどまってそれぞれに陵が作られますが、古事記では志幾の白鳥御陵だけが書かれています。

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