第15話ぼく、死んだことになってる?オシクマ王の反乱
わが子が死んだという噂を流した母は、葬式の船に御子と兵を隠して都へ向かう。腹ちがいの兄たちとの戦い、マゲ将軍の髪に隠した弦での逆転、湖に消える主従、北の浜の神さまの贈り物をへて、死んだことにされた子は母のもとへ帰り、やがて王となる。



















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わが子が死んだという噂を流した母は、葬式の船に御子と兵を隠して都へ向かう。腹ちがいの兄たちとの戦い、マゲ将軍の髪に隠した弦での逆転、湖に消える主従、北の浜の神さまの贈り物をへて、死んだことにされた子は母のもとへ帰り、やがて王となる。



















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この話のもとになった神話
『古事記』中巻の仲哀天皇の段にある話です。仲哀天皇が亡くなったあと、大后の息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと)は、幼い御子を連れて大和へ帰ろうとします。けれども大后は、都の人たちが本当に味方なのかを疑っていました。そこで、死んだ人を運ぶ「喪船(もぶね)」を一艘用意して御子を乗せ、「御子はもう亡くなった」という知らせを先に広めさせます。
この知らせを聞いたのが、御子の腹ちがいの兄にあたる香坂王(かごさかのみこ)と忍熊王(おしくまのみこ)です。二人は御子の一行を待ち伏せて討とうと考え、斗賀野(とがの)で「誓約(うけい)の狩り」をします。これは、狩りの結果で神の考えをうらなうものです。ところが、ひどく怒った大きな猪が現れ、香坂王が登っていた櫟(くぬぎ)の木を掘り倒し、王を食い殺してしまいました。
悪い知らせにもかかわらず、忍熊王はひるまずに軍を起こし、からっぽだと思った喪船を攻めます。ところが船の中からは兵が降りてきて、戦いが始まりました。忍熊王方の将軍は伊佐比宿禰(いさひのすくね)、御子方の将軍は建振熊命(たけふるくまのみこと)です。
山代(やましろ)で両軍が一歩も引かずに戦っていたとき、建振熊命は計略を使います。「大后はもう亡くなったので、戦う理由はない」と言わせ、自分たちの弓の弦を切って降参したふりをしたのです。伊佐比宿禰はこれを信じて弦を外し、武器をしまいました。すると建振熊命の兵は、髪の中に隠しておいた予備の弦を取り出して弓に張り直し、一気に攻めかかります。
忍熊王の軍は逢坂(おうさか)へ逃げ、沙沙那美(ささなみ)で討ち滅ぼされました。追い詰められた忍熊王と伊佐比宿禰は船に乗り、「振熊にやられるくらいなら、水鳥のように淡海(おうみ)にもぐってしまおう」という意味の歌を詠んで、二人そろって水に身を沈めました。
戦いのあと、建内宿禰命(たけしうちのすくねのみこと)は御子を連れて身を清める旅に出て、淡海や若狭を通り、角鹿(つぬが)に仮の宮を建てます。すると、その土地の神である伊奢沙和気大神(いざさわけのおおかみ)が夢に現れ、「私の名と御子の名を取り換えたい」と言いました。この申し出を受けると、神は「明日の朝、浜へ来なさい。しるしの贈り物をあげよう」と告げます。
翌朝、浜には鼻に傷のあるイルカが入り江いっぱいに寄せられていました。御子は「食べ物の魚をくださった」と神にお礼を申し上げさせ、そこから神は御食津大神(みけつおおかみ)と呼ばれ、今は気比大神(けひのおおかみ)と呼ばれる、と書かれています。イルカの血がくさかったので「血浦(ちうら)」と呼び、それが今の角鹿だという地名の由来もそえられています。
都に帰った御子を、母の大后はお祝いの酒をかもして迎え、酒の神・少名御神(すくなみかみ)の名を入れた歌を歌いました。御子に代わって建内宿禰が返しの歌を歌い、これを「酒楽(さかくら)の歌」といいます。
この話には、古代の人たちの考え方がよく表れています。誓約の狩りで兄が猪に殺される場面は、反乱が神に認められていないことを示すしるしとして描かれています。また、将軍たちについて「丸邇臣(わにのおみ)の祖」「難波吉師部(なにわのきしべ)の祖」と書かれているのは、古事記がそれぞれの一族の始まりを語る本でもあったからです。
角鹿の神の話は、今の福井県敦賀市にまつられる気比大神の名の由来として語られています。ただし、名の交換でどちらの名がどちらへ移ったのかは原文にはっきり書かれておらず、昔から説が分かれています。斗賀野や沙沙那美の今の場所や、最後の「海」を琵琶湖と見ることも、後の時代の解釈です。
漫画では、原典に書かれていない部分を絵として補っています。人物の顔や衣装、喪船の形や隠れていた兵の数、戦いの場所の様子、猪の姿などは漫画の創作です。香坂王の最期は、こわすぎないように表現を工夫しています。
原文では、「大后は亡くなった」と叫んだのが誰か、名の交換の夢を見たのが誰か、神がどんな姿だったかは書かれていません。漫画ではこれらを場面として描いていますが、原典で決まっていることではありません。登場人物の気持ちを表すせりふや、朝の浜の景色、最後に成長した御子(のちの応神天皇)を予告として描くコマも、漫画で足したものです。なお「神功皇后」という呼び名は後の時代のもので、この場面の原文には出てきません。
「死んだことにされた子」が母のもとへ帰るまでの、だまし合いと逆転の物語は、絵で見るとぐっとわかりやすくなります。古事記 中巻 ―英雄たちの時代― は全話無料、会員登録なしで読めます。あらすじで流れをつかんだら、ぜひ第15話のページをめくって、喪船から兵が飛び出す場面や、髪に隠した弦の逆転を確かめてみてください。
『古事記』中巻にある、仲哀天皇の死後、異母兄の香坂王と忍熊王が幼い御子を討とうとした話です。母の大后が喪船で御子の死を偽ったことから戦いが始まり、最後は忍熊王が敗れて淡海に身を沈めます。
大后が御子を、死者を運ぶ船(喪船)に乗せ、「御子は亡くなった」とうわさを流させた作戦です。敵がからっぽだと思って攻めてきたところへ、船に隠れていた兵が降りてきて戦いになりました。
「大后は亡くなった」と言わせて弓の弦を切り、降参したふりをしました。相手の将軍が信じて武器をしまうと、髪の中に隠していた予備の弦を張り直して攻め、勝ちました。
角鹿の神・伊奢沙和気大神が夢に現れ、御子と名を取り換えたいと申し出た話です。どちらの名がどちらへ移ったのかは原文にはっきり書かれておらず、説が分かれています。
都に帰った御子を迎えて、母の大后がお祝いの酒をすすめる歌と、建内宿禰が御子に代わって返した歌のことです。酒をかもす人が歌い踊るようすが詠まれています。