第8話日本最強の英雄は、少女の姿で現れたヤマトタケルのクマソ征伐
古事記 中巻 第8話。父の言いつけを言葉どおりに果たし、その父に恐れられて西へ送られた少年オウスは、叔母の衣で少女に化け、クマソタケル兄弟の宴に潜り込む。死にゆく敵から贈られたのは「ヤマトタケル」という名だった。



















最後まで読んでくれてありがとう!
無敵の英雄が泣いた理由は、敵ではなく父だった。「父上は、私に死ねと思っておられるのか」
古事記 中巻 第8話。父の言いつけを言葉どおりに果たし、その父に恐れられて西へ送られた少年オウスは、叔母の衣で少女に化け、クマソタケル兄弟の宴に潜り込む。死にゆく敵から贈られたのは「ヤマトタケル」という名だった。



















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無敵の英雄が泣いた理由は、敵ではなく父だった。「父上は、私に死ねと思っておられるのか」
この話のもとになった神話
古事記の中巻、景行天皇の段に出てくる話です。天皇は息子の小碓命(おうすのみこと)に、兄の大碓命が朝夕の食事の席に出てこないので、お前から「ねぎ」教えるように、と命じました。「ねぎ」は、ていねいに言い聞かせるという意味だと考えられています。ところが五日たっても、兄は現れません。わけを聞かれた小碓は、明け方に厠(トイレ)に入った兄を待ち伏せてつかまえ、手足をもぎ取り、薦(こも)に包んで捨てた、とそのまま答えました。
天皇は、この子の荒々しく猛々しい心を恐れます。そして、西にいて天皇に従わない熊曽建(くまそたける)の兄弟を討ってこい、と小碓を遠くへ送り出しました。このときの小碓は、まだ髪を額で結う少年の姿でした。小碓は叔母の倭比売命から女性の衣と裳(スカートのような衣)をもらい、剣を懐に入れて旅立ちます。
熊曽建の家は、軍勢に三重に囲まれていました。兄弟は新しい住まいの完成祝いの宴を準備していて、小碓は近くを歩き回りながらその日を待ちます。宴の日、小碓は髪を少女のようにとき下ろし、叔母の衣を着て、女たちにまぎれて中へ入りました。兄弟はこの「少女」を気に入り、自分たちの間に座らせます。
宴がいちばん盛り上がったとき、小碓は懐の剣で兄の胸を刺し通し、逃げる弟も階段の下まで追いつめて刺しました。弟に名をたずねられた小碓は、天皇の子・倭男具那王(やまとおぐなのみこ)だと名のります。弟は、西には自分たちより強い者はいないが、大和には自分たちにまさる勇ましい男がいた、と認め、これからは「倭建(やまとたける)の御子」と名のってほしいと、自分たちの名を差し出しました。言い終えると弟は斬られ、このときから小碓命は倭建命(ヤマトタケル)と呼ばれるようになります。帰り道では、山や川、穴戸(あなと)の神々を従わせながら都へ戻りました。
兄殺しは、古事記では小碓本人の報告の言葉だけで語られ、その場面が直接描かれているわけではありません。また、大碓がなぜ食事に出てこなかったのかも、原典ははっきり書いていません。この話の少し前に、大碓が父のもとへ召し出すはずだった姉妹(兄比売・弟比売)を自分のものにし、別の女性を差し出した話があります。そのことを恥じていたのだと結びつける読み方もありますが、これは後の時代の解釈です。
小碓が「ねぎ(いたわり諭す)」を「痛めつける」と取り違えた、あるいはその意味でしか受け取れなかった、という見方もあります。言葉のずれが悲劇を生んだと読むか、小碓の激しい気性を示す話と読むかは、人によって分かれるところです。
なお、小碓が十六歳だった、熊曽の首領は一人だった、「日本童男(やまとおぐな)」と名のった、といった話は日本書紀のもので、古事記には出てきません。
熊曽(クマソ)は、南九州に住み、大和の王権になかなか従わなかった人々を指すと考えられています。この話は、大和の力が西へ広がっていく様子を、一人の英雄の物語として語ったものと読むことができます。
名前のやりとりも大切なポイントです。昔の人にとって名前は、その人の力や立場と深く結びついたものでした。「タケル」は勇ましく強い者を表す言葉で、熊曽建の名にも入っています。西でいちばん強い者が自分の「タケル」の名を差し出したことで、小碓がその強さを受け継いだ、と説明されることが多い場面です。
一方で、父に恐れられて遠ざけられるという始まりは、この先も続くヤマトタケルの旅に影を落とします。強い英雄でありながら、どこか孤独な人物として読み取る人も多く、それがこの物語が長く読み継がれてきた理由のひとつといえるでしょう。
古事記には、小碓の年齢や顔立ち、気持ちの描写がほとんどありません。叔母から衣をもらう場面のやりとり、西への道のり、宴を待つあいだの様子、宴の席での会話なども書かれていないため、漫画ではこうした部分を絵と演出でおぎなっています。これらは漫画オリジナルの表現です。
兄殺しや敵の最期のように、原典では激しい言葉で書かれている場面は、刺激が強くなりすぎないよう見せ方を工夫しています。名を差し出すときの弟の熊曽建の気持ちも、原典には書かれていないため、漫画なりの解釈です。いっぽう、叔母の衣による変装、三重の軍勢に囲まれた新しい住まい、名前を得る流れといった話の骨組みは、原典どおりに描いています。
Manga Portal では「古事記 中巻 ―英雄たちの時代―」を全話無料、会員登録なしで読めます。第8話では、父の言いつけを言葉どおりに果たした少年が、少女の姿で敵の宴に入り込み、「ヤマトタケル」の名を得るまでを描いています。あらすじを知ったうえで読むと、短い原文の行間に何があったのかを想像しながら楽しめるはずです。
三重の軍勢に囲まれた熊曽建の家に、怪しまれずに入り込むためです。宴の日に叔母の衣を着て髪を少女のようにとき下ろし、女たちにまぎれて中へ入りました。
古事記では、討たれた熊曽建の弟が名づけています。西には自分たちより強い者はいないが大和にはもっと強い男がいた、と認めて、「倭建」の名を差し出しました。
父の天皇から、食事に出てこない兄に「ねぎ(言い聞かせる)」ように言われ、その結果として兄を殺したと報告しています。言葉を取り違えたという見方もありますが、古事記は理由をくわしく説明していません。
南九州に住み、大和の王権に従わなかった人々を指すと考えられています。古事記では、熊曽建という兄弟が首領として登場します。
違いがあります。日本書紀では、首領は川上梟帥(かわかみのたける)一人で、小碓は十六歳とされ、「日本童男」と名のりますが、こうした設定は古事記にはありません。