第9話友にわたした刀は、木でできていたヤマトタケルとイズモタケル
西からの帰り道、オウス(ヤマトタケル)は出雲の勇者と友になり、中身のない木の太刀でその友を討つ。都に戻ると父からすぐに東への遠征を命じられ、少年は叔母の前で初めて涙を流して、本物の剣と口を固く結んだ袋を受け取る。



















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西からの帰り道、オウス(ヤマトタケル)は出雲の勇者と友になり、中身のない木の太刀でその友を討つ。都に戻ると父からすぐに東への遠征を命じられ、少年は叔母の前で初めて涙を流して、本物の剣と口を固く結んだ袋を受け取る。



















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この話のもとになった神話
九州の熊曾建(くまそたける)を討ち、「倭建(やまとたける)」という名を受けた小碓命(おうすのみこと)は、都へ帰る途中で山の神・河の神・穴戸の神をことばで従わせながら進み、出雲の国に入ります。古事記は、出雲建を殺すつもりで来たのだと、はっきり書いています。
倭建命はまず出雲建と友になります。そのうえで、赤檮(いちいがし)という木でひそかに偽の太刀を作り、自分の腰に下げました。二人は肥河で一緒に水浴びをします。先に川から上がった倭建命は、出雲建が置いていた本物の太刀を身につけ、「太刀を取り換えよう」と言います。後から上がった出雲建は、木の太刀を下げました。
倭建命が「さあ、太刀を合わせよう」と勝負をもちかけると、出雲建は刀を抜けません。中身のない木の太刀だったからです。倭建命はその場で出雲建を斬り、「出雲建の太刀は、つる草をたくさん巻いて立派に見えるのに、刀身がなくて、ああ」という意味の歌を詠みました。
都に戻って報告すると、父の景行天皇はすぐにまた、東の十二の国々の荒ぶる神と従わない人々を平らげよと命じます。付けられたのは供の御鉏友耳建日子と、比比羅木の長い矛でした。倭建命は伊勢の宮に立ち寄り、叔母の倭比売命に「父上は私に死ねと思っておられるのか。西から帰ってまもないのに、兵も与えずに、また東へ行けとおっしゃる」と嘆いて泣きます。倭比売命は草那芸剣と一つの袋をわたし、「急なことがあったら、この袋の口を開けなさい」とだけ告げました。
主人公の倭建命は景行天皇の皇子です。この話より前の段で、兄の大碓命を殺したため、父がその荒々しい心を恐れて西へ送り出したことが書かれています。力だけでなく、計略を使って勝つ人物として描かれています。
出雲建は出雲の勇者ですが、原典には台詞も、悪いことをしたという記述も一切ありません。わかるのは、倭建命と友になり、太刀の取り換えと勝負に応じたことだけです。倭比売命は伊勢の大御神をまつる叔母で、熊曾を討つときにも自分の衣装を倭建命に与えています。
古事記は712年に太安万侶がまとめた、日本でいちばん古い歴史書です。出雲は神話の中で特別な土地として何度も登場します。倭建命の西や東への遠征は、ヤマトの王権が各地を従えていった歴史を、一人の英雄の物語として語ったものだという見方もあります。
この話の倭建命は、正々堂々とは戦いません。熊曾建を討つときも女の姿で近づいており、古代の英雄にとっては知恵や策略も強さのうちだったと考えられます。いっぽうで、討ったあとの「あはれ」の歌が、からかいなのか哀れみなのかは原典には書かれておらず、読み手によって受け取り方が分かれます。
天皇が本当に息子の死を望んでいたのかも、地の文には書かれていません。「死ねと思っておられるのか」は倭建命自身の言葉です。なお、日本書紀には倭建命の出雲の話はなく、崇神天皇の時代に出雲振根が弟を木刀でだまし討ちにする、よく似た話が別に載っています。また、肥河は今の斐伊川、比比羅木は柊、穴戸は関門海峡のあたりとする説が一般的ですが、原典にそう書かれているわけではありません。
原典では、二人が友になる場面は「友となった」という一語だけです。漫画では、狩りをしたり語り合ったりして友情を深める時間を描いていますが、これは創作です。出雲建の性格や見た目、台詞、最期の表情も、漫画で新しく描いた部分です。
ほかにも、偽の太刀を作るときの倭建命の心の揺れ、天皇が命令する場面の表情、伊勢の宮の様子や倭比売命のまなざし、山や川の神の姿などは、原典に書かれていないため漫画で想像して描いています。いっぽう、木の太刀のだまし討ち、「あはれ」の歌、東征の命令、伊勢で泣く場面、剣と袋をわたされる場面は、古事記のとおりです。
友と呼んだ相手を自分の手で討ち、休むまもなく次の戦いへ送られる。第9話は、強い英雄だった少年が初めて涙を見せる、物語の大きな曲がり角です。「古事記 中巻 ―英雄たちの時代―」は全話無料、会員登録なしで読めます。叔母からわたされた袋がこの先どうなるのか、ぜひ漫画で確かめてみてください。
古事記には、出雲建を殺すつもりで出雲に入ったことは書かれていますが、その理由は書かれていません。出雲建が何か悪いことをしたという記述もありません。
赤檮(いちいがし)という木で作った、刀身のない偽の太刀です。水浴びのあと、これを自分の本物の太刀と取り換えさせたため、出雲建は勝負のときに刀を抜けませんでした。
西の戦いから帰ったばかりなのに、兵も与えられずにすぐ東へ行けと命じられ、父は自分に死んでほしいのではないかと嘆いたからです。ただし、天皇の本心は原典には書かれていません。
草那芸剣は、スサノオがヤマタノオロチの尾から見つけた剣として古事記に出てくる剣です。袋は「急なことがあったら口を開けなさい」と言ってわたされ、この先の東征の場面で役に立ちます。
日本書紀には、倭建命が出雲建を討つ話はありません。ただ、崇神天皇の時代に出雲振根が弟を木刀でだまし討ちにする、よく似た話が載っています。