第13話8歳の天皇は、祖母に抱かれて海へ壇ノ浦の戦い/知盛最期
琵琶の語りで始まる、平家最後の一日。一門でいちばん先に負けを悟った知盛は、裏切り、幼い帝と母の入水、教経の最後の戦いを見届け、「見るべきものは、すべて見た」と言って兄弟同然の家来・家長と手を取り合い、海へ跳ぶ。




















最後まで読んでくれてありがとう!
すべてを見た唯一の生き残り。平家の物語は、彼女の祈りで終わる
琵琶の語りで始まる、平家最後の一日。一門でいちばん先に負けを悟った知盛は、裏切り、幼い帝と母の入水、教経の最後の戦いを見届け、「見るべきものは、すべて見た」と言って兄弟同然の家来・家長と手を取り合い、海へ跳ぶ。




















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この話のもとになった神話
屋島の戦いに敗れた平家は、長門国(今の山口県)の彦島を拠点にしていました。源氏の側には、紅白の鶏を闘わせて神のお告げを確かめた熊野の湛増や、伊予の河野通信が船団を率いて加わります。元暦二年(1185年)三月二十四日の朝、源氏およそ三千艘と平家千余艘が、門司と赤間の関(今の関門海峡)の海でぶつかりました。
戦いの前、平家の指揮をとる平知盛は「運が尽きても、名を汚すな」という意味の言葉で全軍を励まします。また、味方の阿波民部重能が裏切りそうだと見抜き、斬らせてほしいと兄の宗盛に願い出ますが、証拠がないと許されませんでした。はじめは平家が優勢で、両軍は遠くまで矢を射合う腕比べ(遠矢)もくり広げます。
ところが、空から白旗が源氏の船に舞い降り、イルカの群れが平家の船の下をくぐり抜けるという不吉なしるしが続きます。そこへ重能が源氏に寝返り、平家の作戦はすべて敵に知られてしまいました。四国・九州の兵も平家から離れ、形勢は一気に逆転します。
源氏の兵が乗り移ってくると、知盛は帝の乗る船へ行き、見苦しい物は海に捨てるよう言って、自分で船を掃き清めました。戦はどうなったのかと女房たちに聞かれると、「珍しい東国の男たちをご覧になれますよ」と笑って答えたと語られています。
清盛の妻・二位殿は、三種の神器のうち神璽と宝剣を身につけ、八歳の安徳天皇を抱いて船べりに立ちます。どこへ連れて行くのかと尋ねる帝に、伊勢神宮と西方の浄土へ手を合わせさせ、波の下にも都がありますよと慰めて、ともに海へ沈みました。帝の母・建礼門院は熊手で引き上げられ、平家の総大将・宗盛父子は生け捕りにされます。猛将の平教経は義経を討ちもらし、敵兵二人を両脇に抱えて海へ飛び込みました。
すべてを見届けた知盛は、見るべきことはもう見たと言い、乳母子(乳母の子で、兄弟同然に育った家来)の家長とともに鎧を重ね着して沈みました。海は平家の赤旗で、紅葉が散ったように赤く染まったといいます。のちに神璽と鏡(内侍所)は都へ戻りましたが、宝剣は見つかりませんでした。
壇ノ浦といえば「途中で潮の流れが逆になって平家が負けた」という話が有名です。しかし平家物語に書かれているのは、はじめは潮が平家に有利だったことだけです。物語が語る敗因は、重能の裏切りと味方の離反、それに不吉なしるしです。潮の流れが逆転したという説は近代の研究から広まったもので、その後の研究では異論もあります。また「義経が敵の漕ぎ手を狙えと命じた」という話も、原典には命令として書かれていません。書かれているのは、漕ぎ手が討たれて船を操る者がいなくなったという結果だけです。
平家物語は、琵琶法師が琵琶を弾きながら語り伝えた物語です。どんなに栄えた者もいつかは必ず衰えるという、仏教の「無常」の考え方が全体に流れていて、壇ノ浦はその頂点ともいえる場面です。ただし物語は、平家をただの「おごった者の最期」としては描いていません。知盛の落ち着き、二位殿の覚悟、幼い帝の哀れさをていねいに語り、滅びていく人々をいたむ気持ちがこめられています。天皇の位のしるしである宝剣が海に失われたことも、物語の中で重い出来事として語られます。
漫画は、知盛の目を通して平家最後の一日を描いています。原典には、二位殿の入水や教経の最期を知盛がその場で見たとは書かれていません。また白旗は源氏側の出来事で、イルカの占いは宗盛が陰陽師にさせたものです。これらを知盛が見届ける形にしたのは、漫画の工夫です。
知盛の心の声、家長と「一緒に死のう」と約束した場面、女房たちの名前や表情、二位殿が覚悟を決めた瞬間、海の中の様子なども、原典にくわしい描写がない部分を漫画で描き足したものです。琵琶の語りから始まる構成は、平家物語がもともと語り物だったことを生かした演出です。
第13話「8歳の天皇は、祖母に抱かれて海へ」は、『平家物語 ―源平合戦、驕れる者の最期―』の一話として、全話無料・会員登録なしで読めます。あらすじを知ったうえで、知盛が最後に何を見たのかを、絵でたどってみてください。
元暦二年(1185年)の旧暦三月二十四日、長門国の壇ノ浦(今の山口県下関市、関門海峡のあたり)で起きました。源氏が勝ち、平家はこの戦いで滅びました。
平家物語では八歳とされています(数え年)。祖母の二位殿に抱かれて海に沈みました。
平家物語では、阿波民部重能の裏切りで作戦が源氏に知られ、四国・九州の兵も離れたことが大きな原因とされています。白旗やイルカの不吉なしるしも語られます。「潮の流れが変わったから負けた」という説は近代に広まったもので、原典には書かれておらず、異論もあります。
二位殿が神璽と宝剣を身につけて入水しました。神璽と鏡(内侍所)はのちに都へ戻りましたが、宝剣は見つからず、失われたままになりました。
一門の最期を見届けたあと、「見るべきことはすべて見届けた」という意味の言葉を残しました。そして乳母子の家長とともに鎧を二領ずつ着て、手を組んで海に沈んだと語られています。