第11話兜の下は、息子と同じ年の少年敦盛最期
一ノ谷の戦いのあと、手柄を求める熊谷直実は、海へ逃げる若武者を扇で呼び戻して組み伏せる。兜の下にあったのは、息子と同じ年頃の少年の顔だった。腰に差した笛が、夜明け前に聞いたあの音とつながる。



















最後まで読んでくれてありがとう!
一発勝負。外したら切腹。両軍が見守る中、海上の扇を射抜け
一ノ谷の戦いのあと、手柄を求める熊谷直実は、海へ逃げる若武者を扇で呼び戻して組み伏せる。兜の下にあったのは、息子と同じ年頃の少年の顔だった。腰に差した笛が、夜明け前に聞いたあの音とつながる。



















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一発勝負。外したら切腹。両軍が見守る中、海上の扇を射抜け
この話のもとになった神話
寿永三年(1184年)二月、一ノ谷の戦いに敗れた平家の公達(貴族の若者たち)は、沖にいる助け船に乗ろうと波打ち際へ逃げていきました。源氏方の熊谷次郎直実は、手柄になるような大将と組み合いたいと考え、海辺に馬を進めます。そこへ、鶴を刺繍した直垂(ひたたれ)に萌黄匂(もえぎにおい)の鎧、黄金づくりの太刀という華やかな姿の武者が現れ、馬を海に入れて沖の船へ泳がせていきました。熊谷は扇を上げて、敵に背中を見せるのは見苦しいから戻ってこいと呼びかけます。すると武者は引き返してきました。
波打ち際で二人は組み合い、そろって馬から落ちます。熊谷が首をとろうと兜を押し上げると、薄化粧をしてお歯黒をつけた、十六、七歳ほどの美しい少年の顔がありました。自分の息子・小次郎と同じくらいの年です。熊谷は助けたいと思って名前を聞きますが、少年は名乗りません。首をとって人に聞けば、知っている者がいるだろうと言うのです。熊谷は迷います。この人一人を討っても戦の勝ち負けは変わらない。息子が軽い傷を負っただけでも自分はつらかったのに、この子の父親はどれほど悲しむだろうか、と。
ところが振り返ると、味方の土肥・梶原の軍勢が五十騎ほど迫っていました。ここで逃がしても、どうせほかの者に討たれてしまう。それなら自分が討って、後で供養をしよう。熊谷が泣きながらそう告げると、少年は早く首をとれとだけ答えます。熊谷は気が遠くなりながらも首をとり、武士の家に生まれたことがくやしいと何度も嘆きました。
首を包もうとしたとき、熊谷は少年の腰に、錦の袋に入った笛が差してあるのを見つけます。今日の明け方に城の中で管絃(雅楽の合奏)をしていたのは、この人たちだったのだと気づきました。首と笛を源義経に見せると、その場にいた人はみな涙を流します。少年は平経盛の子、敦盛で、十七歳でした。この日から、熊谷の出家したいという気持ちは深まっていきました。
中心になるのは、手柄を求める東国の武士・熊谷直実と、都で育った平家の少年・平敦盛の二人です。熊谷の息子の小次郎、敦盛の父の平経盛は、話の中で名前が出てくるだけで、この場面には登場しません。土肥・梶原の軍勢は、熊谷に「討つ」決断をさせるきっかけとして描かれています。
平家の公達は都で育ち、和歌や音楽を身につけていました。薄化粧やお歯黒も、当時の貴族の身だしなみです。いっぽう東国の武士は、戦で手柄を立てて家と土地を守る人々でした。何万騎もいる東国の軍勢でも、陣に笛を持ってくる者はまずいない。熊谷がそう感じたように、一本の笛が二つの世界のちがいをはっきり見せています。
この笛は、祖父の平忠盛が鳥羽院からいただいたもので、名を「小枝(さえだ)」といいます。物語の最後で語り手は、音楽のような遊び事も、最後には仏の道に入るきっかけになることがあると、しみじみ結んでいます。勝った側の武士が深い悲しみを背負うこの場面には、戦のむなしさと、平家物語全体に流れる「無常」の考え方がよく表れています。
熊谷が実際に出家して法然の弟子になり、「蓮生(れんせい)」と名乗ったことは、この章段には書かれていません。史料や後世の伝承によって伝えられている話です。熊谷が手紙をそえて敦盛の遺品を父・経盛に送ったという話は、延慶本や『源平盛衰記』などの異本にあります。
敦盛が陣に笛を置き忘れ、取りに戻ったせいで船に乗り遅れたという話や、笛を「青葉の笛」と呼ぶ話は、後の時代の伝承や唱歌から広まったもので、覚一本にはありません。この物語は能や幸若舞の「敦盛」など、後の芸能にも受けつがれていきました。
漫画では、夜明け前に城の中から笛の合奏が聞こえてくる場面を冒頭に置き、最後に見つかる笛へつながる伏線にしています。原典では、熊谷が首を包むときに笛を見つけて、明け方の管絃の主はこの人たちだったと気づく形で書かれています。熊谷がその音を自分の耳で聞いたとは、はっきり書かれていません。
熊谷や敦盛の顔立ち、戦場の天気や波、明け方の光、組み合っているときの細かな動きや表情は、漫画で描き加えたものです。台詞は現代の言葉に直しましたが、熊谷の嘆きが「武士という身のくやしさ」と「自分のしたことへのつらさ」の二つからできている点は、原典の意味を残すようにしています。
文章で読むと短い場面ですが、扇で呼び戻すところや兜の下の顔、腰の笛に気づく瞬間などは、絵で見るとまた違った重さで胸に迫ります。「平家物語 ―源平合戦、驕れる者の最期―」は全話無料、会員登録なしで読めます。第11話で熊谷と敦盛の出会いを見てから、前後の話で源平合戦の流れを追ってみてください。
一ノ谷の戦いのあと、源氏方の武士・熊谷次郎直実に討たれました。熊谷は息子と同じ年頃の敦盛を助けようとしましたが、味方の軍勢が迫ってきたため、自分の手で討って供養しようと決めました。
平家物語(覚一本)では十七歳とされています。熊谷が兜の下の顔を見たときには「十六、七歳ほど」に見えた、と書かれています。
覚一本の平家物語では、笛の名は「小枝(さえだ)」です。祖父の忠盛が鳥羽院からいただいた笛とされています。「青葉の笛」という呼び名は、後の時代の伝承や唱歌から広まったものです。
「敦盛最期」の章段には、この時から出家を願う心が深まったことまでしか書かれていません。その後、法然の弟子になり「蓮生」と名乗ったことは、史料や伝承によって伝えられています。
巻九に入っている章段で、一ノ谷の戦い(寿永三年〈1184年〉二月)のあとの出来事を描いています。平家物語の中でもよく知られた場面の一つです。