第10話「鹿しか来ない」崖から、騎馬隊が来た一ノ谷の戦い(鵯越の坂落とし)/忠度最期
「後ろは崖だから鹿くらいしか来ない」と平家が笑っていた一ノ谷の要塞へ、義経は老馬に道を探させ、断崖を駆け下りて背後から攻め込む。都を捨てた夜に師へ歌を託していた忠度は、混乱の中で討たれるが、矢入れに結んだ一首によって、名もない敵の首から一人の歌人に戻る。




















最後まで読んでくれてありがとう!
討ち取った敵は、自分の息子と同じ17歳の少年だった
「後ろは崖だから鹿くらいしか来ない」と平家が笑っていた一ノ谷の要塞へ、義経は老馬に道を探させ、断崖を駆け下りて背後から攻め込む。都を捨てた夜に師へ歌を託していた忠度は、混乱の中で討たれるが、矢入れに結んだ一首によって、名もない敵の首から一人の歌人に戻る。




















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討ち取った敵は、自分の息子と同じ17歳の少年だった
この話のもとになった神話
一ノ谷の戦いは、寿永3年(1184年)2月に今の神戸市あたりで起きた、源氏と平家の戦いです。都を追われた平家は、讃岐の屋島から福原の旧都へ戻り、東は生田の森、西は一ノ谷を守りの拠点にしていました。
『平家物語』では、一ノ谷は北に山、南に海があり、入口が狭く、高い岸がまるで屏風を立てたようだと書かれています。大きな石を積み、とげのある木の柵を並べ、高い櫓も建てた、攻めにくい城でした。第10話の元になっているのは、巻九の「三草勢揃」「老馬」「坂落」「忠度最期」などの章です。
源氏は兵を二手に分けます。源範頼の大軍が東の生田の森へ、源義経の軍が山側の丹波路へ進みました。義経は三草山の平家の陣に夜討ちをかけて打ち破ると、さらに軍を分け、土肥実平に西の木戸口を攻めさせ、自分は3千余騎で一ノ谷の背後の鵯越へ向かいます。
山道で迷ったとき、武蔵の若武者・別府小太郎清重が「道に迷ったら老いた馬を先に歩かせよ、と父に教わった」と申し出ます。義経は昔の中国の話を挙げてこれを取り入れ、白っぽい毛の老馬を先に立てました。さらに弁慶が連れて来た土地の老猟師が「この先の坂は人は通れないが、鹿なら通る」と言うと、義経は「鹿が通れる道を馬が通れないはずがない」と答えます。猟師の息子は道案内に選ばれ、その場で元服して鷲尾三郎義久と名乗りました。
崖の上に着くと、義経は試しに鞍を置いた馬を何頭か落とさせます。脚を折る馬もいましたが、無事に下りて平家の陣に立った馬もいました。それを見た義経は「乗り手が心得て下りれば馬は傷つかない。わたしを手本にせよ」と言い、自ら先頭で駆け下ります。途中、苔むした大岩の前で皆がためらうと、三浦一族の佐原十郎義連が「三浦ではこのくらいの所はいつも駆けている」と言って真っ先に下りました。下り着いた源氏が鬨の声を上げ、陣に火を放つと、平家は総崩れになって海へ逃げ、船の奪い合いで多くの命が失われました。
西の守りの大将だった平忠度は、清盛の弟で、すぐれた歌人でもありました。混乱の中でも騒がず静かに退いていたところを、武蔵の武士・岡部六弥太忠純に見つかります。忠度は「味方だ」とごまかしますが、歯を黒く染めていたことから平家の貴族だと見抜かれました。
二人は組み合い、力の強い忠度がいったんは優位に立ちますが、六弥太の従者が駆けつけて忠度の右腕を斬り落とします。忠度は残った腕で六弥太を押しのけ、念仏を十回唱えるあいだに首を討たれました。
六弥太は相手の名を知りませんでした。ところが、矢を入れる箙(えびら)に「旅宿花」という題の歌が結ばれていて、そこに忠度の名がありました。旅先で日が暮れて桜の木の下に宿るなら、今夜のもてなし役は花になるだろう、という意味の歌です。武芸にも歌にも優れた大将を失ったことに、敵も味方も涙を流したと語られます。
前半は、東国の武士たちの経験や土地の知恵が、思いもよらない作戦を成功させる話です。老馬の知恵、猟師の言葉、若者や坂東武者の勇気が、義経の決断と組み合わさっています。ただし、実際にどの崖を下りたのか、史実としてどこまで本当なのかについては、いくつもの説があります。
後半の忠度の話は、戦の中でも歌を大切にした平家の人々の姿を伝えています。忠度は都を去るとき、師の藤原俊成に自分の歌を託していました(巻七「忠度都落」)。勝ち負けだけでなく、滅びゆく者の心を語るところに『平家物語』らしさがあります。
タイトルにもある「平家が『後ろは崖だから鹿しか来ない』と笑っていた」という場面は、漫画の演出です。原典で「鹿は通る」と言うのは老猟師です。また原典には、源氏の大軍に驚いた鹿が平家の城へ駆け下りて射止められる場面があります。
崖の角度や高さの見せ方、夜の山や天気、老猟師の名前や話し方、兵たちの表情、火が広がる様子、海辺の船の細かな描写も漫画で付け足したものです。原典で数字があるのは、砂地の坂を約2町(200mほど)下り、その先の大岩が十四、五丈(40m余り)続くという部分だけです。忠度と六弥太の組み合いの細かな動き、六弥太が歌を読むときの気持ち、第8話の俊成の場面との重ね方も漫画の工夫です。
文章で読むと地名や人の名前が多い一ノ谷の戦いも、漫画なら崖を駆け下りる迫力と、名もない首が一人の歌人に戻る静かな結末を一気に味わえます。『平家物語 ―源平合戦、驕れる者の最期―』は全話無料、会員登録なしで読めます。第8話「忠度都落」とあわせて読むと、箙の歌の重みがいっそう伝わるはずです。
一ノ谷の戦いで、源義経が平家の城の背後にある険しい崖を馬で駆け下り、不意をついて攻めた作戦です。『平家物語』巻九「坂落」に描かれています。実際に下りた場所や史実としての真偽には諸説があります。
寿永3年(1184年)2月7日、今の兵庫県神戸市のあたりで起きました。平家は東の生田の森と西の一ノ谷を守りの拠点にしていましたが、源氏に東西と背後から攻められて敗れ、海へ逃れました。
平清盛の弟で、武将であると同時にすぐれた歌人でした。一ノ谷の戦いで岡部六弥太に討たれ、箙に結んであった「旅宿花」の歌から身元がわかりました。都落ちの際に師の藤原俊成へ歌を託した話も有名です。
覚一本系の『平家物語』の坂落の場面には、この話は出てきません。『源平盛衰記』など、後の作品で知られるようになった話です。