第8話燃える都から、武将は引き返した忠度都落ち
燃える都をあとに西へ落ちる途中、歌人の武将・忠度はわずかな供を連れて引き返し、門を閉ざした歌の師・俊成の屋敷で、自作の歌百首あまりを託す。数年後、俊成は約束どおり一首を国いちばんの歌集に入れたが、作者の名は「よみびとしらず」と伏せるしかなかった。その名が帰ってくるのは、長い時を経たあとのこと。



















最後まで読んでくれてありがとう!
最強の女武者・巴。主君は彼女に「生きろ」と命じた
燃える都をあとに西へ落ちる途中、歌人の武将・忠度はわずかな供を連れて引き返し、門を閉ざした歌の師・俊成の屋敷で、自作の歌百首あまりを託す。数年後、俊成は約束どおり一首を国いちばんの歌集に入れたが、作者の名は「よみびとしらず」と伏せるしかなかった。その名が帰ってくるのは、長い時を経たあとのこと。



















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この話のもとになった神話
寿永二年(1183)七月、木曽義仲の軍が京の都に迫ります。二十四日の夜、後白河法皇はわずかな供だけを連れて、こっそり御所を抜け出しました。翌朝それを知った平家の人々は大あわてになります。
平家の中心にいた宗盛は、六歳の安徳天皇と母の建礼門院を同じ輿に乗せ、三種の神器を持って都を出ました。いっしょに出た摂政の基通は、途中で春日明神のしるしを見て都へ引き返します。平家は六波羅や西八条などの自分たちの館に火をつけ、都は煙に包まれました。
この混乱のなか、武将で歌人でもあった薩摩守忠度は、侍五人と少年一人を連れ、自分を入れて七騎で都へ引き返します。向かった先は、和歌の師である藤原俊成の五条の屋敷でした。門は固く閉ざされ、名乗ると中では「落人が戻ってきた」と騒ぎになります。忠度は馬を下り、話があるだけだと声を張って伝え、俊成は「あの人なら大丈夫だ」と門を開けさせました。
忠度は、天皇の命令でつくる歌集(勅撰集)の話が戦乱で止まってしまったことを残念がり、鎧のすき間から自作の歌百首あまりを書いた巻物を取り出します。そして、一首でもよいから入れてほしい、そうなればあの世からでもうれしく思う、と頼みました。俊成は決して粗末にしないと約束し、涙をこらえきれません。忠度は、もう海に沈んでも野にさらされてもかまわない、思い残すことはないと言って、漢詩の一節を口ずさみながら西へ去っていきました。
同じころ、平経正は仁和寺に立ち寄り、預かっていた名器の琵琶「青山」を返して別れを告げます。一門は福原の旧都で一夜を明かし、翌朝そこにも火を放って、船で西の海へ出ていきました。
やがて世が落ち着き、俊成は『千載和歌集』を完成させます。忠度の歌には入れるべきものがいくつもありましたが、平家は朝廷にそむいた者(朝敵)とされていたため、名前を出すことができません。俊成は「故郷の花」を題にした、「さざなみや」で始まる一首を「よみびとしらず(作者不明)」として入れました。荒れはてた昔の都に、山桜だけが昔のまま咲いている、という歌です。語り手はこれを「残念なことだ」としめくくっています。
史実では、千載集をつくる命令は都落ちより前の寿永二年二月に出ており、完成したのは文治四年(1188)です。忠度は都落ちの翌年、一ノ谷の戦いで命を落としました(巻九「忠度最期」)。のちの時代の勅撰集には、忠度の名前で歌が入っているとされます。
平家物語は「おごれる者は久しからず」という、栄えた者もいつかは滅びるという考えでつらぬかれています。その中で忠度の話は、命よりも歌が後の世に残ることを願った武士の姿を描き、戦の物語に静かな美しさを添えています。武士と貴族が和歌でつながっていた、当時の文化もよくわかる場面です。なお、忠度が清盛の異母弟であることは一般に知られていますが、この章段の中では語られていません。
原典は、忠度がどこから引き返したのかを書いていません。漫画では、燃える都(六波羅)を背にして引き返す場面にしていますが、これは放火の記事と忠度の帰還を結びつけた演出です。七騎の供の名前や顔、訪ねた時刻や天気、門を開けた人物、忠度が去ったあとの俊成の表情や心の声も漫画の創作です。
また、千載集を編む俊成の書斎の様子や、歌を選ぶときの気持ちも漫画で描き足した部分です。経正の琵琶の場面は短くまとめ、福原での一夜と船出は背景として省略しています。
閉ざされた門の前で名乗る声、鎧から取り出される巻物、遠ざかっていく朗唱――文章だけでは想像しにくい場面も、漫画なら一コマずつ味わえます。「平家物語 ―源平合戦、驕れる者の最期―」はManga Portalで全話無料、会員登録なしで読めます。第8話のあとは、一ノ谷で忠度がどんな最期を迎えるのかも、ぜひ続けて読んでみてください。
平家物語巻七にある章段です。都を捨てて西へ落ちる途中、平忠度が歌の師・藤原俊成の屋敷に引き返し、自作の歌百首あまりを託して去っていく話です。
平家が朝廷にそむいた者とされていたため、俊成は忠度の名前を出せませんでした。そこで『千載和歌集』に、作者不明を意味する「よみびとしらず」として一首だけ入れました。
「故郷の花」を題にした、「さざなみや」で始まる歌です。かつて都があった志賀の地は荒れてしまったが、山桜だけは昔と変わらず咲いている、という内容です。
都落ちの翌年、寿永三年(1184)の一ノ谷の戦いで討ち死にしました。その最期は平家物語巻九「忠度最期」で語られています。
寿永二年(1183)七月です。木曽義仲の軍が迫り、後白河法皇がひそかに御所を出たことで、平家は安徳天皇を連れて都を離れました。