第8話都を守るために、都を捨てた大物浦の嵐(義経の都落ち)
兄に命を狙われるヨシツネは、都を戦場にしないために西国へ落ちることを決め、大物の浦から船を出す。しかし激しい嵐で船団は散り、岸に押し戻されたのはわずかな者だけだった。すべてを失った一行は、ヨシノの山を目指す。



















最後まで読んでくれてありがとう!
「愛する人を置いていく。それが、生き延びる唯一の方法だった」
兄に命を狙われるヨシツネは、都を戦場にしないために西国へ落ちることを決め、大物の浦から船を出す。しかし激しい嵐で船団は散り、岸に押し戻されたのはわずかな者だけだった。すべてを失った一行は、ヨシノの山を目指す。



















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この話のもとになった神話
『義経記』は、室町時代前期ごろにできたとされる、作者のわからない軍記物語です。平家を倒した英雄・源義経の少年時代と、兄の頼朝に追われてからの日々を中心に描いています。第8話のもとになっているのは、巻第四の「義経都落の事」と「住吉大物二ケ所合戦の事」です。
鎌倉から送られてきた土佐坊昌俊の夜討ちを退けたものの、兄・頼朝との仲はもう元に戻りませんでした。都にとどまれば、やがて鎌倉の大軍が押し寄せ、都そのものが戦場になってしまいます。そこで義経は、都で戦って町を焼くことを避け、九州(豊後)の武士・緒方三郎惟義らを頼って西国へ下ることを決めます。
義経は、弁慶をはじめとする郎等(家来)と、静ら女房たちを連れて都を出て、摂津の大物の浦を目指します。途中、住吉と大物の二か所で土地の武士たちに行く手をふさがれますが、一行は戦ってこれを切り抜け、船に乗り込みました。
ところが船出の後、激しい風と波が船団を襲います。船は散り散りになり、摂津や和泉の浜辺へ押し戻されてしまいました。西国へ行く望みは絶たれ、従う者も減っていきます。義経はわずかな手勢と静を連れて追手を避け、大和の吉野山へ向かいます。吉野での出来事は、続く巻第五で語られます。
主人公の源義経は、検非違使の「判官」という役職にあったため、物語では「判官殿」とも呼ばれます。この巻では、戦の天才としてよりも、都の人々を巻き込まないために自分から都を捨てる主君として描かれています。
義経を支えるのは、大力の荒法師だった武蔵坊弁慶や、伊勢三郎義盛・片岡八郎・亀井六郎・駿河次郎・常陸坊海尊といった郎等たちです。白拍子の静も都落ちに同行し、吉野まで付き従います。追う側の中心である兄・頼朝は鎌倉にいて、この場面には直接姿を見せません。
舞台は平安時代の終わり、平家が壇ノ浦で滅んだ後の時代です。歴史の記録でも、1185年(文治元年)の冬に義経が頼朝と対立して都を離れ、大物浦から船出したところで嵐にあったと伝えられています。大物浦は、いまの兵庫県尼崎市のあたりにあった港とされています。
大きな手柄を立てたのに兄に追われ、すべてを失っていく義経の姿は、多くの人の同情を集めました。弱い立場の人をつい応援したくなる気持ちを「判官びいき」と言いますが、この「判官」は義経のことです。
なお、大物浦の船出は能『船弁慶』の題材としても有名です。『船弁慶』では、静が大物浦で都へ帰され、海上に平知盛の亡霊が現れて弁慶が祈りで退けます。これは後の時代に作られた別の物語で、『義経記』では静は吉野まで同行し、嵐で船団が散ったことが話の中心になっています。
漫画の第8話は、原典の大きな流れを変えていません。都を戦場にしないための決断、西国の味方を頼ること、住吉・大物での戦い、嵐で船団が散ること、そして吉野へ向かうことは、すべて『義経記』にある筋です。
一方、原典は嵐の場面を「船団が風で散った」と大づかみに語るだけです。そのため、船が壊れていく様子や、海に落ちる仲間、弁慶が荒波に立ち向かって仲間を助け出す場面などは、漫画で新しく描いた見せ場(創作)です。
ほかにも、都落ちを決めるときの義経と弁慶らの会話、船出の夜の月や港の様子、女房たちの不安、合戦での一人ひとりの立ち回り、浜に上がってから吉野へ向かう道中の気持ちや出来事、郎等たちの見た目などは、漫画のオリジナルです。
「都を守るために、都を捨てた」という義経の決断と、嵐ですべてを失う一夜の重さは、絵で見るとより伝わってきます。この「義経伝説 ―牛若丸と弁慶―」は全話無料・会員登録なしで読めます。第8話を読んだら、静との別れが待つ吉野山の話へも、ぜひ続けて読んでみてください。
兄の頼朝と対立し、都にいれば鎌倉の大軍に攻められる立場になったからです。『義経記』では、都で戦って町を焼くことを避けるため、義経が自分から都を出て西国の味方を頼ったと描かれています。
摂津国にあった港で、いまの兵庫県尼崎市のあたりとされています。義経一行はここから西国へ向けて船出しました。
激しい風波で船団は散り散りになり、浜辺へ押し戻されて西国行きは失敗しました。その後、義経はわずかな手勢と静を連れて、大和の吉野山へ向かいます。
同じ大物浦の船出を題材にしていますが、別の作品です。平知盛の亡霊が現れて弁慶が祈りで退けるのは能『船弁慶』の名場面で、『義経記』では嵐で船団が散ったことが話の中心です。
室町時代前期ごろにできたとされる、作者のわからない軍記物語です。源義経の少年時代と、兄に追われて落ちていく後半生を中心に語っています。