第7話暗殺者が来た夜、英雄は眠っていた堀川夜討(静御前)
兄ヨリトモが送った刺客トサボウの嘘の誓いを、ヨシツネは兄を信じたくて受け入れてしまう。その夜、誰より早く異変に気づき、眠る彼を起こして鎧を着せ、闇に灯を掲げ、最後は火を放って援軍を呼んだのは、白拍子のシズカだった。



















最後まで読んでくれてありがとう!
「海さえも、英雄の味方をしなかった」
兄ヨリトモが送った刺客トサボウの嘘の誓いを、ヨシツネは兄を信じたくて受け入れてしまう。その夜、誰より早く異変に気づき、眠る彼を起こして鎧を着せ、闇に灯を掲げ、最後は火を放って援軍を呼んだのは、白拍子のシズカだった。



















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「海さえも、英雄の味方をしなかった」
この話のもとになった神話
平家を倒したあと、源義経と兄の頼朝の仲は悪くなっていきます。頼朝は弟を討つ者を探し、その役を引き受けたのが土佐坊正尊(とさのぼう しょうぞん)という僧でした。土佐坊は「熊野へお参りに行く」と見せかけて、少ない手勢を連れて京の都へ上ります。
都に着いても、土佐坊は義経のもとへ挨拶に来ません。怪しんだ義経は武蔵坊弁慶に命じ、弁慶は土佐坊を力ずくで堀川の館へ連れて来ます。義経に「おまえは私を討ちに来たのだろう」と問い詰められた土佐坊は、「ただの熊野詣でです」と言い張り、神仏に誓う文書である起請文(きしょうもん)を書いて身の潔白を誓いました。義経はそれを受け入れ、いったん彼を帰します。
ところがその夜、土佐坊の軍勢が堀川の館に押し寄せました。夜討ち(夜の奇襲)です。異変にいち早く気づいたのは静(静御前)でした。静は眠っている義経を起こし、鎧を着せかけます。義経は郎党たちとともに戦い、寄せ手を追い払いました。土佐坊は鞍馬の山奥へ逃げましたが捕らえられ、義経の前に引き出されたのち、六条河原で斬られます。
源義経は堀川の館の主で、この話では命を狙われる側です。土佐坊の偽りの誓いを信じて帰してしまうところに、義経の寛大さ、あるいは油断が表れています。武蔵坊弁慶は、土佐坊の宿へ乗り込んで連れて来る荒々しく頼もしい家来です。
土佐坊正尊は、僧でありながら暗殺の役を引き受けた敵役です。歴史書の『吾妻鏡』では「昌俊」と書かれています。そして静は義経が愛した女性で、この段では鋭い勘と落ち着いた行動で義経の命を救います。静が舞を職業とする白拍子(しらびょうし)であることは、義経記の別の巻ではっきり描かれます。
『義経記』は室町時代にまとめられた軍記物語で、作者はわかっていません。義経の子ども時代から最期までを描きますが、歴史の記録そのものではなく、語り継がれた伝説をもとにした「物語」です。
土佐坊が義経を襲った事件は、鎌倉幕府の記録『吾妻鏡』にも出てきます。平家が滅んだ年(1185年)の秋のことで、この事件をきっかけに、義経は兄と戦う道へ追い込まれていきます。起請文は、ウソをついたら神仏の罰を受けるという誓いの文書で、当時の人にとってはとても重い約束でした。それを平気で破った土佐坊の行いは、物語の中で強い悪として描かれています。
土佐坊が嘘の誓いを立て、夜討ちをかけ、静が義経を起こして鎧を着せる、という大きな流れは原典どおりです。そのうえで漫画では、冒頭に静の白拍子としての魅力を見せる場面を新しく作っています。この段の原典には舞の場面はなく、有名な「しづやしづ」の舞はもっと後の巻の話なので、ここでは使っていません。
ほかにも、土佐坊が討手を引き受けるときの心の中、弁慶とのもみ合い、起請文を書かせる場面での駆け引き、静が異変に気づくきっかけ(物音や松明の光など)、戦いの動きは、漫画としてのふくらませ方です。また、最後に義経が「兄は本気で自分を殺す気だ」と確信する独白は、原典の出来事から読み取れる気持ちを描いた漫画の解釈です。
文字で読むと短い場面ですが、「兄を信じたい」義経と、誰より早く危険に気づく静の対比は、絵で見るとぐっと胸に迫ります。静が闇の中で灯を掲げる場面など、漫画ならではの見せ方にも注目してみてください。
Manga Portalの『義経伝説 ―牛若丸と弁慶―』は全話無料、会員登録なしで読めます。牛若丸と弁慶の出会いから順番に読むと、この第7話の重さがよりわかるはずです。
源頼朝が送った土佐坊正尊が、京の堀川にあった義経の館を夜に襲った事件です。義経は家来とともに戦って追い払い、土佐坊は捕らえられて斬られました。この事件は歴史書『吾妻鏡』にも記録されています。
『義経記』では、静が異変に気づき、眠っていた義経を起こして鎧を着せかけたと語られます。静の機転がなければ、義経は寝込みを襲われていたかもしれません。
兄の頼朝が義経を討とうとして、その役を土佐坊が引き受けたからです。土佐坊は熊野詣でと偽って上洛し、起請文で嘘の誓いまで立ててから夜討ちをかけました。
神や仏に向かって「この言葉にウソはない」と誓う文書です。誓いを破れば神仏の罰を受けると信じられていたため、当時はとても重い約束とされていました。