第13話殿のお経が終わるまで、ここは通さない衣川の戦い(弁慶の立ち往生)
シリーズ第13話・最終回。平泉でようやく安らぎを得た義経だったが、秀衡の死後、泰衡の大軍が衣川の館を襲う。主が経を読み終えるまで、弁慶はただ一人門の前に立ち続けた。



















最後まで読んでくれてありがとう!
シリーズ第13話・最終回。平泉でようやく安らぎを得た義経だったが、秀衡の死後、泰衡の大軍が衣川の館を襲う。主が経を読み終えるまで、弁慶はただ一人門の前に立ち続けた。



















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この話のもとになった神話
兄の源頼朝に追われた源義経(判官殿)は、奥州平泉の藤原秀衡のもとに身を寄せます。秀衡は義経を手厚く守りましたが、やがて病に倒れました。死の床で秀衡は息子たちを集め、判官殿を大将軍として仰ぎ、鎌倉に従ってはならないと言い残します。さらに誓いの文書(起請文)まで書かせてから、この世を去りました。
ところが父の死後、跡を継いだ泰衡は、鎌倉からの誘いと圧力に負けて誓いを破り、義経を討つと決めます。泰衡の大軍は、義経の住む衣川のほとりの館「高館(たかだち)」に押し寄せました。その朝は運悪く、常陸坊海尊ら十一人が近くの山寺へお参りに出ていて戻らず、館に残っていたのは弁慶・片岡・鈴木兄弟・鷲尾・増尾・伊勢・備前など、ほんの数人だけでした。
義経は持仏堂(家の中の小さな仏堂)で法華経を読みはじめ、読み終えるまで敵を防いでほしいと家来たちに頼みます。郎党は次々に討ち死にしていきました。弁慶は打って出る前に義経のもとへ別れを告げに行き、主従は和歌を交わします。死んだあとの道でも主と共にありたいという思いを込めた歌でした。
弁慶は薙刀をふるって大軍をなぎ払い、敵は近づくことができません。全身に数えきれないほどの矢を受け、その矢はまるで蓑(わらで編んだ雨具)の毛のように立っていたと語られます。それでも弁慶は薙刀を杖にして立ち続け、敵は恐れて手を出せませんでした。やがてそばを馬が駆け抜けたとき、弁慶の体が倒れ、とうに息絶えていたことがわかります。これが「弁慶の立ち往生」です。
なお、薙刀を地面に突き立てて仁王立ちする有名な姿や、「身動きがとれなくなる」という意味で「立ち往生」を使う言い方は、後の時代の絵や芝居、言葉の使われ方の中で広まったものです。
お経を読み終えた義経は、鞍馬寺で過ごした少年時代から持っていた守り刀「今剣(いまのつるぎ)」で自害します。妻の北の方は敵の手にかかることを嫌い、老臣の十郎権頭兼房に自分を討つよう頼みました。兼房は北の方と五歳の若君、生まれて間もない姫君の命を絶ちます。まだ息のあった義経は家族の最期を確かめてから息を引き取りました。
兼房は言いつけどおり館に火を放ち、主の亡骸を敵に渡しませんでした。そして攻め手の武将を一人わきに抱え、燃えさかる炎の中へ飛び込んで最期を遂げます。物語はこのあと、父の遺言に背いて主を討った泰衡らが、頼朝によって道に外れた者として攻め滅ぼされるところへと続きます。
『義経記』は、作者がわからない室町時代ごろの軍記物語です。平家との華やかな合戦よりも、牛若丸と呼ばれた少年時代と、兄に追われて逃げ続ける後半生に重点を置いて、義経の一生を描いています。
最終巻で大切にされているのは、主君のために命をささげる家来の忠義と、誓いを守ることの重さです。遺言を守ろうとした秀衡と、誓いを破った泰衡がはっきり対比されています。悲運の義経に同情する人々の気持ちは、弱い立場の人を応援する「判官びいき」という言葉にもなりました。
史実では、義経は1189年(文治5年)に衣川で亡くなったとされますが、戦いの細かな様子は記録にほとんど残っていません。弁慶の活躍は物語が伝えるお話です。また、義経は生き延びて北へ逃れたという伝説もありますが、『義経記』にはその話は出てきません。
出来事の流れは原典どおりですが、原典があまり描いていない部分を漫画でふくらませています。平泉での季節の暮らしや風景、秀衡と義経が語り合う場面の台詞、泰衡が裏切りを決めるまでの迷いは、漫画の創作です。
郎党一人ひとりの戦いぶりや討たれる順番、最期の台詞も創作です(原典は名前を挙げる程度で、描写は短めです)。弁慶が立ち往生するときの表情や心の声、第5話の出会いを思い出す回想も漫画ならではの演出です。今剣を手がかりに第1話の鞍馬の場面を重ねていますが、今剣が鞍馬時代からの刀だという点は原典どおりです。
義経の自害や兼房が家族を手にかける場面は、読経の声や経巻、今剣などを映して象徴的に表し、直接的な描写は控えています。炎に包まれる館の絵や、伝説の終わりを告げるナレーションも漫画で加えたものです。
第13話は「義経伝説 ―牛若丸と弁慶―」の最終回です。弁慶がなぜ最後まで門の前に立ち続けたのかは、第1話の鞍馬の少年時代や、第5話の弁慶との出会いから読むと、いっそう胸に迫ります。全話無料・会員登録なしで読めるので、気になった方は最初の話から主従の旅をたどってみてください。
『義経記』によると、衣川の戦いで弁慶は全身に矢を受けながら、薙刀を杖にして立ったまま息絶えました。敵は恐れて近づけず、そばを馬が駆け抜けて体が倒れたとき、初めて死んでいたことがわかったと語られています。
奥州平泉の衣川にあった館「高館」で、藤原泰衡の軍に攻められて亡くなりました。『義経記』では、持仏堂で法華経を読み終えてから、少年時代からの守り刀「今剣」で自害したとされています。
父の秀衡が亡くなったあと、鎌倉の頼朝から義経を討つよう誘いと圧力を受けたためです。泰衡は父の遺言と誓いを破って高館を攻めましたが、のちに頼朝によって不義の者として滅ぼされました。
今では、進むことも退くこともできず、その場で動けなくなる様子を表す言葉として使われます。弁慶の話がもとになっていますが、こうした言い回しや薙刀を突き立てた姿の絵は、後の時代に広まったものです。
義経が衣川を逃れて蝦夷地や大陸へ渡ったという伝説はありますが、確かな根拠はありません。『義経記』では、義経は高館で最期を迎えたと描かれています。