第11話敵の前で、恋しい人を歌った静御前の舞(しづやしづ)
兄・頼朝に追われる義経と雪の山で別れ、捕らえられて鎌倉へ送られた静は、義経の居場所を最後まで明かさず、生まれた我が子も奪われる。舞と誇りだけが残った静は、頼朝と政子の前で神前の舞を命じられ、敵の町で恋しい義経を想う歌を堂々と歌う。



















最後まで読んでくれてありがとう!
「主君を守るために、主君を殴った男」――世界一切ない忠誠の物語。
兄・頼朝に追われる義経と雪の山で別れ、捕らえられて鎌倉へ送られた静は、義経の居場所を最後まで明かさず、生まれた我が子も奪われる。舞と誇りだけが残った静は、頼朝と政子の前で神前の舞を命じられ、敵の町で恋しい義経を想う歌を堂々と歌う。



















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「主君を守るために、主君を殴った男」――世界一切ない忠誠の物語。
この話のもとになった神話
『義経記』は、源義経の一生を描いた軍記物語です。作者はわかっておらず、室町時代の前期ごろにまとまったと考えられています。兄の頼朝に追われた義経は吉野山へ逃げ、そこで愛する静と別れました。静はその後捕らえられ、京で取り調べを受けます。義経の子を身ごもっていたため、頼朝の命令で、母の磯禅師に付き添われて東海道を下り、鎌倉へ送られました。
鎌倉では義経の行方を何度も問いただされますが、静は最後まで「知らない」と答え通します。頼朝は「生まれた子が男なら殺し、女なら助けよ」と命じました。生まれたのは男の子でした。静と母は必死に命乞いをしますが許されず、子は頼朝の家来に取り上げられ、由比の浜の海に沈められてしまいます。
深い悲しみの中で都へ帰ることを願った静は、帰る前に鶴岡の若宮八幡宮へお参りします。それを聞いた頼朝と妻の北条政子は、京で一番と評判の静の舞を見たいと望みました。静ははじめ断りますが、結局、神様の前で舞うことになります。
静がまずうたったのは「吉野山峰の白雪踏み分けて入りにし人の跡ぞ恋しき」という歌です。雪の積もった吉野の山を分け入って去っていったあの人(義経)の足あとが恋しい、という気持ちをうたっています。
続けてうたったのが「しづやしづ賤のをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな」です。「をだまき」は、糸を巻いて玉にしたもののこと。糸をくり返し繰るように、昔を今に取り戻す方法があればいいのに、という意味で、義経がいたころの世に戻ってほしいという願いがこめられています。どちらの歌も、もっと古い有名な和歌をもとに作りかえたものとして知られています。
頼朝は、謀反人の義経を慕い、今の鎌倉の世を認めない歌だと激しく怒りました。そこで政子が、自分も昔、親の反対を押し切って頼朝のもとへ走った身だと話し、静の気持ちは女として当然だととりなします。頼朝の怒りはおさまり、静は褒美を与えられて、母とともに都へ帰されました。都に戻った静は出家し、まもなく若くして亡くなったと語られています。
静は「白拍子」と呼ばれる芸能者でした。白拍子は平安時代の終わりから鎌倉時代のはじめに人気があった女性の歌い手・舞い手で、白い水干に烏帽子という男性風の姿で舞ったことで知られています。
頼朝が義経の男の子を許さなかったのは、当時の武士の世界では、敵の家の男の子が成長して仇をとることが恐れられていたからです。頼朝自身も、子どものころに平氏に命を助けられ、のちに平氏を倒した人物でした。そうした厳しい時代に、権力者の目の前で愛する人への思いを堂々とうたった静の姿は、力に屈しない心の強さを伝えています。また、政子が同じ女性として静の気持ちを受け止める場面も、この話が長く愛されてきた理由のひとつです。
鎌倉幕府の記録『吾妻鏡』にも静の舞は出てきますが、順番が違います。『吾妻鏡』では、舞は文治2年(1186年)の4月8日、出産は同じ年の閏7月29日とされ、舞のほうが先です。『義経記』は子を失ったあとに舞を置いていると考えられ、そのぶん静の悲しみと誇りがいっそう強く伝わる、という読み方もあります。
また、静が奥州へ逃れた義経のあとを追ったという話や、日本の各地に静の墓や伝説が残っているという話は、後の時代に生まれた言い伝えで、『義経記』の本文には書かれていません。
漫画では、原典の筋はそのままに、場面をふくらませて描いています。鎌倉までの旅の風景や宿でのやりとり、母と娘の会話、取り調べのせりふや並んで座る御家人たちの表情は、漫画で加えたものです。
子が殺される場面は直接描かず、由比の浜の波、小さな着物、浜千鳥などで静かに伝えています。舞の振り付けや衣装の細かいデザイン、歌をうたうときの静の心の中のことば、都へ帰る道で海や雪を見つめる場面、政子が静を見つめるまなざしと二人の心の通い合いも、漫画オリジナルの描写です。原典には帰り道の様子がほとんど書かれていないため、そこは静の心情を想像して描いています。
文章で読むと短い場面ですが、漫画では、子を奪われた静がそれでも顔を上げて舞台に立つまでの気持ちを、絵でじっくり追うことができます。「義経伝説 ―牛若丸と弁慶―」は全話無料、会員登録なしで読めます。第11話で静の舞を見届けたら、牛若丸と弁慶の出会いから始まる物語も、最初の話からたどってみてください。
平安時代の終わりから鎌倉時代のはじめに生きたとされる白拍子(歌と舞の芸能者)で、源義経の愛妾です。『義経記』では、捕らえられても義経の行方を明かさず、頼朝の前で義経を慕う歌をうたった、心の強い女性として描かれています。
「をだまき」は糸を巻いて玉にしたもので、糸をくり返し繰るように、昔を今に取り戻す方法があればいいのに、という意味です。静は、義経がいたころの世に戻ってほしいという願いをこの歌にこめました。
鎌倉の鶴岡の若宮八幡宮(今の鶴岡八幡宮)の神前です。頼朝と北条政子の前で舞を命じられ、義経を慕う歌をうたいました。
『義経記』では、頼朝が「男なら殺せ」と命じていたため、生まれた男の子は母から取り上げられ、由比の浜に沈められます。静と母の磯禅師は命乞いをしましたが、許されませんでした。
怒る頼朝に、妻の政子が「自分も昔、親の反対を押し切ってあなたのもとへ走った」と話し、静の気持ちは当然だととりなしたからです。頼朝の怒りはおさまり、静は褒美を与えられて都へ帰されました。