第5話笛吹きの少年に、刀が届かない弁慶の千本の太刀(牛若丸との出会い)
太刀を九百九十九本集めた乱暴者の坊さんベンケイは、千本目を狙った夜、笛を吹く少年にひと太刀も届かない。次の夜、崖の上のお寺で再び挑んだ彼が、負けて見つけたものとは。
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最後まで読んでくれてありがとう!
「平家を滅ぼした最強の弟は、兄にだけは勝てなかった」
太刀を九百九十九本集めた乱暴者の坊さんベンケイは、千本目を狙った夜、笛を吹く少年にひと太刀も届かない。次の夜、崖の上のお寺で再び挑んだ彼が、負けて見つけたものとは。
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この話のもとになった神話
弁慶と義経の出会いは、室町時代の前期ごろにできたとされる軍記物語『義経記(ぎけいき)』の巻三に書かれています。作者はわかっていません。
比叡山を追い出され、播磨の書写山(しょしゃざん)も焼いて都へ出てきた武蔵坊弁慶は、「人の宝は千そろえて持つものだ」と考え、太刀を千振り集めようと決めます。夜になると京の町に出て、行き合った人から太刀を奪い取り、とうとう九百九十九振りまで集めました。
残る一振りを手に入れるため、弁慶は六月十七日の夜に五条の天神へお参りし、よい太刀を持つ者に会えるよう祈ります。夜がふけたころ、笛を吹きながら歩いてくる若者がいました。腰には黄金作りの見事な太刀。源氏の御曹司、義経です。弁慶は斬りかかりますが、御曹司はひらりと築地(ついじ・土の塀)の上へ飛び上がってかわし、弁慶を軽くあしらって去ってしまいます。
次の日、十八日。清水の観音へお参りし、御堂で法華経を読む御曹司を見つけた弁慶は、もう一度勝負を挑みます。激しく打ち合ったすえに弁慶は打ち負かされ、降参して、御曹司の家来として仕えることを誓いました。
多くの人が知っているのは「五条大橋の上で、牛若丸が弁慶をやっつける」という話でしょう。けれども『義経記』では、出会いの場所は橋の上ではなく、五条の天神の近くの夜道と、翌日の清水寺です。
橋の上の勝負という形は、能(謡曲)の「橋弁慶」や御伽草子、明治時代の唱歌「牛若丸」など、あとの時代の作品で広まったものと考えられています。また「千本目の太刀が義経の太刀だった」というまとめ方も、後世の語り方です。原典では、弁慶は千本目を手に入れる前に負けて、家来になっています。
もうひとつの違いは義経の年ごろです。『義経記』では、このときすでに元服して「義経」と名のっており、奥州から都に戻ってきた若者として描かれています。「牛若丸」は幼いころの名前です。
『義経記』は、義経の一生のうち、華やかな合戦よりも、少年時代や都での日々、のちに兄・頼朝に追われる苦しい旅に多くのページを使っています。弱い立場の義経に心を寄せる「判官(ほうがん)びいき」の気持ちが、この物語を支えているといわれます。
弁慶は乱暴者でありながら、天神や観音に祈る信心深さも持っています。そして負けたとたん素直に降参し、一生仕えると誓う。強い者どうしが力をぶつけ合い、そこから固い主従の絆が生まれる、という筋立てが、のちの「忠義の家来・弁慶」の姿につながっていきます。
漫画では、五条の天神の夜と清水の夜という二つの夜の流れを、一話にまとめています。弁慶自身の語りや心の声、回想の入れ方も漫画のオリジナルです。
原典には「夜ごとに太刀を奪った」程度しか書かれていないため、太刀を奪われる武者たちの名前や場面、京の人々が噂する台詞は創作です。笛の曲や音色、月や天気などの夜の情景、刀を交える手順や清水の境内のどこで戦うか、衣装の色や柄、降参する場面の台詞や主従の契りを結ぶしぐさも、原典の大筋を変えない範囲で漫画として描き足しています。
九百九十九本の太刀を集めた大男が、笛を吹く若者にひと太刀も届かない――文章で読むと短い場面ですが、漫画では夜の京の静けさや、身軽にかわす義経の動きをじっくり味わえます。『義経伝説 ―牛若丸と弁慶―』は全話無料、会員登録なしで読めます。第5話で二人の出会いを見届けたら、主従の旅の続きもぜひのぞいてみてください。
『義経記』では、五条の天神の近くの夜道で出会い、翌日に清水寺で再び戦います。有名な「五条大橋の上」という場面は、能や唱歌などあとの時代の作品で広まった形です。
『義経記』では、弁慶が「人の宝は千そろえて持つものだ」と考えたからだとされています。そのために夜ごと京の町で人の太刀を奪い、九百九十九振りまで集めました。
原典の『義経記』では、千本目を手に入れる前に義経に負け、家来になっています。千本目が義経の太刀だったという結び方は、後世の語り方です。
源義経の一生を描いた軍記物語で、作者はわかっておらず、室町時代の前期ごろにできたとされています。少年時代や、兄・頼朝に追われる逃避行が詳しく書かれているのが特徴です。