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第11話帰りの金しかないのに、全部おごる東海道中膝栗毛(お伊勢参り)

厄を落として生まれ変わるはずが、森の静けさに胸を打たれた五分後、弥次さんは忠告も帰りの銭も忘れて「全部おれが持つ」と言い切ってしまう。旅の終着で本物の感動を味わった二人が、いつもの自分に戻るまでの珍道中。

19ページ全話無料・会員登録なし

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次回予告第12話 第12話 伏見の夜船、元の場所に逆戻り

一晩中船に乗ったのに、着いたのは出発地点。江戸時代の『乗り間違い』

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この話のあらすじ

東海道を桑名まで来た弥次郎兵衛と喜多八は、四日市へ進み、その先の日永の追分あたりで東海道を離れます。ここから伊勢街道に入り、松坂方面へ南へ下って、伊勢神宮の外宮の門前町である山田に着きます。 山田は、各地から来た参拝客でにぎわう町です。旅の大きな目的地に着いても、二人の性分は変わりません。江戸っ子らしく格好をつけては早合点をして、失敗を重ねます。夜には道連れとともに、山田と宇治の間にある歓楽地の古市へ出かけ、妓楼で遊びます。ところが、粋がったわりに思いどおりにはいきません。 二人は伊勢神宮に参り、旅の目的である参宮を果たします。

原典東海道中膝栗毛 ―弥次さん喜多さん珍道中― — 日本 · 享和2年〜文化11年(1802〜1814年)

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この話のもとになった物語

東海道中膝栗毛のお伊勢参りあらすじ|弥次喜多と古市の騒動

ひとことで言うと: 東海道中膝栗毛のお伊勢参りは、江戸っ子の弥次さんと喜多さんが伊勢街道を南へ進み、門前町の山田や歓楽地の古市で見栄と早合点の失敗を重ねながら、伊勢神宮への参拝を果たす話です。十返舎一九『東海道中膝栗毛』の五編に描かれ、二人は参拝のあとも懲りないまま、京・大坂へ旅を続けます。

原典のあらすじ:桑名から山田、古市、伊勢神宮へ

東海道を桑名まで来た弥次郎兵衛と喜多八は、四日市へ進み、その先の日永の追分あたりで東海道を離れます。ここから伊勢街道に入り、松坂方面へ南へ下って、伊勢神宮の外宮の門前町である山田に着きます。

山田は、各地から来た参拝客でにぎわう町です。旅の大きな目的地に着いても、二人の性分は変わりません。江戸っ子らしく格好をつけては早合点をして、失敗を重ねます。夜には道連れとともに、山田と宇治の間にある歓楽地の古市へ出かけ、妓楼で遊びます。ところが、粋がったわりに思いどおりにはいきません。

二人は伊勢神宮に参り、旅の目的である参宮を果たします。古市は地理の上で外宮と内宮の間にあるため、原典では内宮へ参る前に古市で遊ぶ流れと考えられます。ただし、細かな順序や、一つひとつの騒動の運びについては、ここでは断定しません。参宮を終えても二人は懲りず、次の編で京・大坂へと向かいます。

弥次さん喜多さんはどんな二人か

弥次さんは年上の側で、軽口と狂歌(こっけいな短歌)が大好きです。見栄を張りたがり、悪ふざけで痛い目にあっても反省が続きません。喜多さんは弥次さんより若く、調子のよい性格です。女性に目がなく、色事に手を出しては失敗します。二人は仲のよい相棒ですが、張り合ったり、だまし合ったりもします。

立派な人物が困難を乗り越える物語ではなく、ちょっと情けない二人が失敗を笑いに変えていくところが、この作品の魅力です。聖地の伊勢に来ても、この調子がなかなか変わらないところに、お伊勢参りの回のおかしさがあります。

この物語の背景:伊勢参りと古市

江戸時代の庶民にとって、伊勢参りは多くの人があこがれる大きな旅でした。信仰の旅であると同時に、ふだんは見られない土地を歩き、名物を味わう楽しみの旅でもあったのです。伊勢では御師(おんし)と呼ばれる人々が、参拝客の宿や参拝の世話をしていました。

古市は、外宮と内宮を結ぶ道の途中にあった歓楽地で、伊勢音頭の踊りでも知られます。参拝のあとの「精進落とし」の場として説明されることもあります。神聖な場所のすぐそばに、にぎやかな遊び場がある。この並びからは、当時の人々にとって信仰と楽しみが遠く離れたものではなかったことがうかがえます。弥次さん喜多さんの騒動は、そうした時代の空気も伝えています。

また、二人の伊勢参りは、厄落としの旅として語られることもあります。

漫画版で変えたところ

原典に沿っているのは、桑名から伊勢街道を通って山田へ進むこと、古市へ遊びに行くこと、参宮を果たしたあとも旅を続けることといった大きな流れです。一方、第11話の中心である「森の静けさに胸を打たれた五分後に、帰りの銭も忘れて『全部おれが持つ』と言い切る」という筋は、漫画のために組み立てたものです。

古市の場面も変えています。原典の妓楼や遊女、性的な笑いは描かず、茶屋で飲み食いをしたり、伊勢音頭の踊りを見物したりする場面に置き換えました。また、感動した直後に騒ぎが起こる運びは漫画の構成で、原典と同じ順序とは限りません。

「厄を落としたはずなのに不運は落ちていない」という締めくくりも、原典の言葉ではなく漫画側の解釈です。はぐれや人違いなどの騒動は、原典のこっけいさの型を生かしながら、運びや台詞を新しく作っています。狂歌も、海外の読者にも伝わる短い一言として作り直しました。名前のない道連れや宿の人々、町の様子や食べ物などにも、時代に合わせて補った部分があります。

漫画で読むには

Manga Portal の『東海道中膝栗毛 ―弥次さん喜多さん珍道中―』は、全話無料で、会員登録なしで読めます。第11話では、旅の終着で本物の感動を味わった二人が、あっという間にいつもの自分に戻っていきます。古典は難しそうだと感じる人も、まずは二人の懲りない顔を見に、気軽にページを開いてみてください。

この話の登場人物

弥次郎兵衛(やじろべえ)
「弥次さん」と呼ばれる江戸の町人で、軽口と狂歌が好きな見栄っ張りです。
喜多八(きたはち)
「喜多さん」と呼ばれる弥次さんの年下の相棒で、調子がよく色事で失敗しがちです。
道連れの旅人(みちづれのたびびと)
伊勢で二人と行動をともにし、古市へ同行する人物です。
古市の人々(ふるいちのひとびと)
歓楽地の古市で働き、二人の見栄や失敗を受け止める役回りの人々です。

よくある質問

東海道中膝栗毛はどんな話?

江戸の町人である弥次さんと喜多さんが、東海道を歩いて伊勢や上方へ向かう旅の笑い話です。行く先々で見栄を張り、悪ふざけや早合点で失敗を繰り返します。

東海道中膝栗毛の作者は誰?

江戸時代後期の戯作者、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)です。1802年に初編が出て人気を集め、続きが次々に書かれました。

「膝栗毛」とはどういう意味?

栗毛の馬に乗る代わりに、自分の膝(足)を使って歩いて旅をすることを表す言葉です。徒歩の旅をおもしろく言い表した題名といえます。

古市とはどんな場所?

伊勢神宮の外宮がある山田と、内宮がある宇治の間にあった歓楽地です。参拝客でにぎわい、伊勢音頭の踊りでも知られました。

第11話の「全部おごる」話は原典にある?

この筋は漫画のために組み立てたものです。原典で描かれる大きな流れは、山田に着き、古市で遊び、伊勢神宮に参って旅を続けるというものです。

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