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第6話人の背中にタダ乗り、高くつくぞ東海道中膝栗毛(掛川の川渡り)

一文なしの喜多さんは、目の見えない旅の芸人の背中に黙って乗り、濡れずにただで川を渡ろうとする。背中の上で得意の絶頂にいる喜多さんだが、涼しい顔の芸人二人は、どうも喜多さんより一枚上手らしい。

19ページ全話無料・会員登録なし

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次回予告第7話 第7話 浜松の宿、幽霊が出た!

江戸時代の『幽霊の正体見たり』。怖がりの大人二人の一夜

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この話のあらすじ

『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』は、江戸時代後期の作家・十返舎一九(じっぺんしゃいっく)が書いた滑稽本(こっけいぼん)、つまり笑いを楽しむ読み物です。1802年に最初の編が出ると評判になり、続きが次々と書かれました。 主人公は、江戸に住む弥次郎兵衛と喜多八の二人です。東海道を西へ歩きながら、いたずらをしては失敗し、人をだましてはだまされる旅を続けます。題名の「膝栗毛」は、自分の膝を馬の代わりにして歩く旅という意味です。今回の川渡りは三編に出てくる短い話で、日坂・掛川(今の静岡県)あたりの道中でのできごとです。

原典東海道中膝栗毛 ―弥次さん喜多さん珍道中― — 日本 · 享和2年〜文化11年(1802〜1814年)

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この話のもとになった物語

弥次さん喜多さん 座頭の川渡りのあらすじ|東海道中膝栗毛 掛川の場面

ひとことで言うと: 東海道中膝栗毛の川渡りの場面は、喜多八が目の見えない座頭の背中に黙って乗り、ただで川を越えようとして、気づかれて川の真ん中で落とされる、十返舎一九『東海道中膝栗毛』三編の滑稽な話です。人の弱みにつけこんだ悪ふざけが、自分に跳ね返って終わります。

東海道中膝栗毛とは

『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』は、江戸時代後期の作家・十返舎一九(じっぺんしゃいっく)が書いた滑稽本(こっけいぼん)、つまり笑いを楽しむ読み物です。1802年に最初の編が出ると評判になり、続きが次々と書かれました。

主人公は、江戸に住む弥次郎兵衛と喜多八の二人です。東海道を西へ歩きながら、いたずらをしては失敗し、人をだましてはだまされる旅を続けます。題名の「膝栗毛」は、自分の膝を馬の代わりにして歩く旅という意味です。今回の川渡りは三編に出てくる短い話で、日坂・掛川(今の静岡県)あたりの道中でのできごとです。

原典のあらすじ:ただ乗りした喜多八が川に落とされるまで

東海道を西へ進む弥次郎兵衛と喜多八は、日坂・掛川のあたりで、川を渡ろうとしている二人の座頭(ざとう)に出会います。座頭とは、ここでは目の見えない旅人のことです。

見ると、一人がもう一人を背負って渡ろうとしています。これ幸いと思った喜多八は、黙ってその背中に乗ってしまいます。座頭は連れを背負っているつもりで川へ入っていきます。喜多八にとっては、ただで川を越えられる、うまい話です。

しかし、やがて座頭は、背中にいるのが連れではないと気づきます。だまされたと知った座頭は、川の真ん中で喜多八を振り落とします。ずぶ濡れになって面目を失った喜多八は、弥次郎兵衛とともにまた旅を続けます。

なお、ただ乗りがばれるまでの細かな流れ(一度は渡りきるのか、連れの座頭の声でばれるのかなど)や、二人が交代で背負い合っていたのかどうかは、この記事では断定しません。川の名前も特定していません。

時代背景:橋のない川と、座頭という人々

江戸時代の東海道には、橋のかかっていない川がいくつもありました。守りを固めるためという説や、流れが急で橋を保ちにくかったためという説などがあります。旅人は渡し船に乗ったり、場所によっては川越人足(かわごしにんそく)にお金を払って担いでもらったりして渡りました。お金がかかるうえ、濡れれば着物も荷物も台なしです。だからこそ「ただで濡れずに渡る」のは、旅人にとって魅力のある話でした。

座頭は、もともと目の見えない人たちの組織である当道座(とうどうざ)の位の名前の一つで、のちに広くそうした人を指す呼び名にもなりました。按摩や鍼、琵琶や三味線などの芸を仕事にする人が多くいました。ただし、この場面の二人が何を仕事にしていたのかは、確認できていません。

この話が伝えていること:ずるをした者が笑われる

膝栗毛の面白さは、主人公が立派な人物ではないところにあります。弥次さんも喜多さんも、得をしようとして失敗し、恥をかいて、懲りずにまた歩き出します。読者はそんな二人を笑いながら、旅の気分も味わいました。

川渡りの話も、人の弱みにつけこんだ悪ふざけが自分に跳ね返る、という形をしています。一方で、江戸時代の笑いの中には、目の見えない人や体の特徴を笑いの種にするものもあり、今の感覚では受け入れにくい部分もあります。古典を読むときは、そうした時代の違いも知っておくとよいでしょう。

漫画版で変えたところ

原典にあるのは、喜多八のただ乗りと、気づいた座頭が川の真ん中で落とすという骨組みです。漫画版は、そこにいくつかの工夫を加えています。

いちばん大きな変更は、座頭たちを、喜多八より一枚上手の機転のきく人物として描いたことです。足音や重さ、水音などの小さな手がかりから早めに異変を察し、わざと川の真ん中まで進んでから落とす、という運びは漫画の創作で、原典の記述としては確認できていません。

また、笑いの的はずるをした喜多さんだけに絞り、見えないことをからかう台詞や、それを落ちにする演出は使っていません。二人を旅の芸人とする設定、性格や掛け合いの台詞、川の様子なども漫画で補った部分です。喜多さんが一文なしという事情も、原典で確かめられたものではありません。

漫画で読むには

第6話「人の背中にタダ乗り、高くつくぞ」の見どころは、背中の上で得意の絶頂にいる喜多さんと、涼しい顔の芸人二人の対比です。筋を知っていても、喜多さんの調子のよさがどこでひっくり返るのかは、絵で追うとまた違った楽しさがあります。

Manga Portal の『東海道中膝栗毛 ―弥次さん喜多さん珍道中―』は全話無料で、会員登録もいりません。川渡りの話が気になったら、この回から、あるいは第1話から、二人の旅に付き合ってみてください。

この話の登場人物

喜多八(きたはち)
弥次郎兵衛の旅の連れで「喜多さん」と呼ばれるお調子者で、座頭の背中にただ乗りして川に落とされます。
弥次郎兵衛(やじろべえ)
「弥次さん」と呼ばれる江戸・神田八丁堀の住人とされる中年の男で、喜多八と軽口を交わしながら東海道を旅します。
座頭二人(ざとう)
川を渡ろうとしていた目の見えない旅人たちで、ただ乗りに気づいて川の真ん中で喜多八を落とします(個々の名前は未確認です)。

よくある質問

東海道中膝栗毛の作者は誰で、どんな話?

作者は江戸時代後期の十返舎一九です。弥次郎兵衛と喜多八の二人が東海道を西へ旅しながら、失敗やいたずらを重ねる滑稽な物語です。

喜多八が座頭の背中に乗る話はどんな内容?

三編に出てくる、日坂・掛川あたりの川での話です。喜多八が座頭の背中に黙って乗り、ただで川を渡ろうとしますが、気づかれて川の真ん中で落とされ、ずぶ濡れになります。

座頭(ざとう)とは何?

もともとは目の見えない人たちの組織、当道座の位の名前の一つです。のちに広くそうした人を指す呼び名にもなり、按摩や鍼、音曲などを仕事にする人が多くいました。

座頭がわざと川の真ん中で落とすのは原典どおり?

川の真ん中で落とされるところは原典の筋です。ただし、座頭たちが早くから気配を察して、わざと真ん中まで誘い込むという運びは漫画の脚色で、原典の記述としては確認できていません。

この漫画は無料で読める?

はい。Manga Portal の『東海道中膝栗毛 ―弥次さん喜多さん珍道中―』は全話無料で、会員登録なしで読めます。

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