日本語言語を選ぶ

第8話裏切った妹の夫と、川の中で姉川の戦い

妹の夫に背かれ泥だらけで逃げ帰った信長は、二か月足らずで北へ戻り、残った味方に戦場の半分を預けて川の戦に勝つ。だが山の城は落ちず、秋、消えなかった敵の旗はまた別の山へ登っていく。

19ページ全話無料・会員登録なし

ほかの言語で読む:English简体中文繁體中文한국어EspañolFrançais

1 / 19
2 / 19
3 / 19
4 / 19
5 / 19
6 / 19
7 / 19
8 / 19
9 / 19
10 / 19
11 / 19
12 / 19
13 / 19
14 / 19
15 / 19
16 / 19
17 / 19
18 / 19
19 / 19

最後まで読んでくれてありがとう!

次回予告 · 制作中第9話 比叡山炎上

1571年、彼は日本仏教の聖地を山ごと焼いた。

この作品はここまで。次はこちらもどうぞ

続きが出たらすぐ読めるよう、この作品のページをブックマークしておいてください: 織田信長この作品の RSS

新しい話の公開を SNS でお知らせしています。フォローしてください:ThreadsBluesky(英語)

この話のあらすじ

元亀元年(1570年)4月末、越前(今の福井県)を攻めていた信長は、浅井長政に背かれます。信長は金ヶ崎から退いて京へ戻り、5月には岐阜へ帰る途中の千草越えで、杉谷善住坊に鉄砲で狙われました。しかし善住坊は信長を討ち果たせず、信長は無事に岐阜へ帰り着きます。 浅井は越前の軍勢を呼び寄せ、近江(今の滋賀県)のたけくらべ・かりやすに砦を構えました。ところが6月、近江の堀・樋口が信長方につき、19日に信長が出陣すると、砦の敵は退散します。信長は浅井の本拠・小谷城に迫って周りの村々を焼き払わせたのち、いったん兵を引き、横山城を四方から囲んで龍ヶ鼻に本陣を置きました。そこへ徳川家康が加わります。

原典信長公記 ―織田信長の生涯― — 日本 · 慶長15年(1610年)ごろ

RSS

この話のもとになった物語

姉川の戦いとは?あらすじをわかりやすく|信長公記『織田信長』第8話

ひとことで言うと: 姉川の戦いは、元亀元年(1570年)6月28日、織田信長が徳川家康とともに、背いた浅井長政と救援に来た朝倉勢を近江の姉川で破った合戦で、太田牛一の『信長公記』に記されています。信長方は勝ちましたが、浅井の小谷城は落とせず、戦いはその後も続きました。

姉川の戦いまでの流れ

元亀元年(1570年)4月末、越前(今の福井県)を攻めていた信長は、浅井長政に背かれます。信長は金ヶ崎から退いて京へ戻り、5月には岐阜へ帰る途中の千草越えで、杉谷善住坊に鉄砲で狙われました。しかし善住坊は信長を討ち果たせず、信長は無事に岐阜へ帰り着きます。

浅井は越前の軍勢を呼び寄せ、近江(今の滋賀県)のたけくらべ・かりやすに砦を構えました。ところが6月、近江の堀・樋口が信長方につき、19日に信長が出陣すると、砦の敵は退散します。信長は浅井の本拠・小谷城に迫って周りの村々を焼き払わせたのち、いったん兵を引き、横山城を四方から囲んで龍ヶ鼻に本陣を置きました。そこへ徳川家康が加わります。

姉川の戦いのあらすじ(原典)

救援のため、朝倉孫三郎が率いる越前勢と浅井勢が現れ、大依山に陣を取ります。28日の早朝、両軍は前進し、姉川を前にして野村と三田村の二か所に分かれて陣をしきました。これに対し、西の三田村方面では家康が朝倉勢に、東の野村方面では信長の馬廻りと美濃勢が浅井勢に向かいます。

戦いは卯の刻(朝6時ごろ)に始まりました。『信長公記』は、黒い煙が立つなかで武者たちが激しく戦う様子を伝えています。信長・家康方は激戦の末に敵を追い崩し、真柄十郎左衛門を青木所右衛門が、遠藤喜右衛門を竹中久作が討ち取るなど、名のある武者を数多く討ち取りました。

信長方は小谷まで追って周辺に火を放ちますが、小谷城は高く険しい山城で、一気には攻め上れないと判断して兵を戻しました。横山城は降参して木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)が守りに入り、信長は続いて佐和山城を囲みます。

勝っても終わらなかった戦い(時代の背景)

信長と長政は縁者の間柄で、一般には信長の妹・お市が長政に嫁いでいたと伝えられます。ただ『信長公記』のこの段に長政の気持ちはほとんど書かれていません。背いた理由については、朝倉家との古いつながりを重く見たという説などがありますが、はっきりとはわかっていません。

姉川の勝利で決着がついたわけではありません。同じ年の9月には本願寺も敵に回り、浅井・朝倉勢は坂本へ進出します。信長の家臣・森三左衛門や弟の九郎が討死し、信長が戻ると敵は比叡山へ上がりました。こうして敵に囲まれていく状況は後の時代に「信長包囲網」と呼ばれるようになりますが、当時の言葉ではありません。

漫画版で描き足したところ

第8話は原典の流れに沿っていますが、漫画として描き足した部分があります。いちばん大きいのは川の中の乱戦です。原典で確かめられるのは姉川を前にした布陣で、水しぶきのなかで斬り合う場面は漫画の演出です。

信長・家康・長政の表情や心の声、陣中の会話、担当を決める場面も創作です。青木と真柄、竹中と遠藤の一騎打ちの展開も、討ち取ったという事実をもとに描いたものです。足軽や村人など、名のない人物の姿や周りの情景も足しています。

語り手の太田牛一が勝利のあとの不安を語る場面は、原典の言葉ではありません。6月の姉川から9月の比叡山へ時間を飛ばしているのも、漫画の構成です。

漫画で読むには

『織田信長 ―信長公記・魔王と呼ばれた男の生涯―』は、Manga Portal で全話無料、会員登録なしで読めます。第8話では、泥だらけで逃げ帰った信長が二か月足らずで北へ戻り、川の戦に勝ちながらも山の城を落とせないところまでを描きます。二手に分かれた陣の様子は、文章より絵のほうがつかみやすいかもしれません。秋に敵の旗がまた別の山へ登っていく結末の先が気になったら、次の話へ進んでみてください。

この話の登場人物

織田信長(おだ のぶなが)
主人公。背いた浅井を討つため再び出陣して姉川で勝つが、険しい小谷城への無理攻めは避ける。
徳川家康(とくがわ いえやす)
信長の同盟者。龍ヶ鼻の陣に加わり、姉川の西側で朝倉勢と戦う。
浅井長政(あざい ながまさ)
小谷城主で信長の縁者。原典では「浅井備前」と記され、姉川で敗れて小谷城へ戻る。
朝倉景健(あさくら かげたけ)
原典の朝倉孫三郎。越前勢を率いて救援に来るが、三田村方面で家康に敗れる。
真柄十郎左衛門(まがら じゅうろうざえもん)
朝倉方の武将。姉川で青木所右衛門に討たれたと記される。
木下藤吉郎(きのした とうきちろう)
信長の家臣で、のちの豊臣秀吉。降参した横山城の守りを任される。

よくある質問

姉川の戦いはいつ、どこで起きた?

元亀元年(1570年)6月28日、近江の姉川のあたり(今の滋賀県長浜市)で起きました。織田・徳川方と浅井・朝倉方がぶつかった合戦です。

姉川の戦いはどちらが勝った?

『信長公記』では、信長・家康方が敵を追い崩して勝ったと記されています。ただし小谷城は落ちず、浅井・朝倉勢はその後も信長と戦い続けました。

本当に川の中で戦ったの?

『信長公記』で確かめられるのは、両軍が姉川を前にして陣をしいたところまでです。川の中で入り乱れて斬り合う場面は、漫画の演出として描いています。

真柄十郎左衛門はどんな人?

朝倉方の武将で、『信長公記』のこの段では青木所右衛門に討たれた者として名が挙がります。大太刀を振るう豪傑の話も知られていますが、この段に記された特徴ではありません。

漫画を最初から読む(無料)