信長公記 あらすじ
『信長公記』(しんちょうこうき)は、織田信長に仕えた太田牛一が書き残した、信長の一代記です。この漫画は、その若き日を記した「首巻」をもとに、「大うつけ」と笑われた若者がどのようにして戦国の世に名をとどろかせたのかを描きます。
尾張の若殿・信長は、奇抜な姿で町を歩く一方、馬や鉄砲の稽古を欠かしません。父・信秀の葬式では仏前に抹香を投げつけ、守役の平手政秀は嘆いて腹を切ります。舅の斎藤道三は聖徳寺の会見で婿を笑おうとしますが、長槍五百本の行列と、正装に着替えた信長の姿を見て、その器の大きさを知ります。
道三が息子に討たれると、織田家では弟の勘十郎をかつぐ動きが起こります。信長は稲生の戦いで弟方を破って一度は許しますが、二度目の謀反では清洲城に呼び寄せて討たせました。そして1560年、四万五千と記される今川義元の大軍が尾張へ攻め込みます。信長は夜明けに敦盛を舞い、わずか六騎で城を飛び出し、桶狭間で義元を討ち取ります。
あらすじ一覧
第1話父の葬式で、お香を投げつけた男 ―大うつけ・信長の抹香投げ―
漫画のあらすじ町じゅうが「大うつけ」と笑う若殿。その若殿が誰も見ていない夜明けに鍛えている姿を、若い弓衆の牛一だけが見てしまう。父の葬儀で若殿は仏前に抹香を投げつけ、守役の平手は腹を切る。第1話、記録係が最初に書き留めたものとは。
原典では『信長公記』は、信長に仕えた太田牛一が、のちにまとめた記録です。最初の巻(首巻)に、若いころの信長の姿が書かれています。信長は16〜18歳ごろまで、ほかの遊びはせず、朝と夕方に馬の稽古をしました。3月から9月までは川で泳ぎました。弓は市川大介、鉄砲は橋本一巴、兵法は平田三位に習い、鷹狩りもしました。
第2話うつけ婿を覗いたら、槍が五百本 ―聖徳寺の会見―
漫画のあらすじ噂の「たわけ」の婿を、町外れの小屋の隙間から覗いて笑ってやろうとした老将・道三。だが婿の後ろには五百本の朱い槍が続き、寺では誰も見たことのない正装の若殿が待っていた。
原典ではある年の四月下旬、美濃(今の岐阜県南部)の山城道三が、婿の織田上総介信長に「富田の寺内にある正徳寺まで出向くので、そちらも来てほしい」と申し入れました。富田は七百軒ほどの家が並ぶ豊かな寺内町で、美濃と尾張の両方から認められた土地だと説明されています。会見の年はこの段には書かれていませんが、天文22年(1553年)とする説が広く知られています。道三のねらいは、世間で「たわけ(愚か者)」と言われている婿を実際に見て、笑ってやることでした。…
第3話弟を許すのは、一度だけ ―稲生の戦い―
漫画のあらすじ自分を認めてくれた妻の父・道三を失い、ひとりになった若き当主・信長。その隙に、母に愛された礼儀正しい弟が家臣に担がれて兄に背く。信長は一度は弟を許すが、二度目は許さなかった。
原典では信長の妻の父で、美濃(今の岐阜県南部)の主だった斎藤道三は、息子の義龍と仲が悪くなりました。義龍は弟二人を呼び寄せて殺し、父に背きます。弘治2年(1556年)4月、道三は長良川で義龍の大軍と戦い、討ち死にしました。信長は援軍として美濃の大良まで出ていましたが、間に合いませんでした。兵を引くとき、信長は自分で一番後ろに立って追ってくる敵を防ぎ、舟で川を渡って帰ったと書かれています。
第4話敵は四万五千、出陣はたった六騎 ―桶狭間の戦い―
漫画のあらすじ四万五千の今川軍が国境の砦を呑んでいく夜、信長は家老たちに作戦を何も語らず「帰れ」とだけ言った。夜明け、敦盛を舞い、立ったまま飯をかき込み、わずか六騎で城を飛び出す。
原典では桶狭間の戦いは、永禄三年(1560年)に尾張(今の愛知県西部)で起きた合戦です。駿河・遠江・三河を治める大名の今川義元が大軍で尾張に攻め込み、迎え撃った織田信長に討ち取られました。
第5話大軍に勝った殿が、山に勝てない ―稲葉山城の戦い―
漫画のあらすじ四万五千の大軍を破った信長が、山の上の城ひとつに何年も届かず「帰るぞ」を繰り返す。敵の味方を一人ずつ減らした末、人質の到着を待たずに動いた男の速さに、味方さえ肝をつぶす。
原典では桶狭間で今川の大軍を破ったあと、信長は北の美濃へ兵を向けます。木曽川などを渡って西美濃に入り、森部では斎藤勢を破って長井甲斐守らを討ち取りました。それでも、美濃はすぐには手に入りません。