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第5話大軍に勝った殿が、山に勝てない稲葉山城の戦い

四万五千の大軍を破った信長が、山の上の城ひとつに何年も届かず「帰るぞ」を繰り返す。敵の味方を一人ずつ減らした末、人質の到着を待たずに動いた男の速さに、味方さえ肝をつぶす。

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次回予告第6話 上洛 ―将軍を奉じて―

将軍は彼を『父』と呼び、副将軍の座を差し出した。彼が欲しがったのは港町だった。

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この話のあらすじ

桶狭間で今川の大軍を破ったあと、信長は北の美濃へ兵を向けます。木曽川などを渡って西美濃に入り、森部では斎藤勢を破って長井甲斐守らを討ち取りました。それでも、美濃はすぐには手に入りません。 そこで信長は足場を変えます。まず「二の宮山へ移る」と命じて家臣を困らせ、あとから小牧山に変更しました。小牧山は麓まで川で家財を運べるので、皆は喜んで移ります。築城を目の前で見た小口(おぐち)の城兵は城を捨てて犬山へ退き、犬山方の家老たちも丹羽長秀を通じて味方になりました。こうして犬山城は孤立します。

原典信長公記 ―織田信長の生涯― — 日本 · 慶長15年(1610年)ごろ

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この話のもとになった物語

稲葉山城の戦いとは?信長の美濃攻めのあらすじ|信長公記

ひとことで言うと: 稲葉山城の戦いは、美濃へ何度も兵を出した織田信長が敵の味方を少しずつ切り崩し、最後は美濃三人衆の寝返りをきっかけに城を囲んで、斎藤龍興を降参させる、『信長公記』首巻に記された物語です。信長は約束の人質が届くのを待たずに動き、味方になる三人衆まで驚かせました。

原典のあらすじ①:勝っても届かない美濃

桶狭間で今川の大軍を破ったあと、信長は北の美濃へ兵を向けます。木曽川などを渡って西美濃に入り、森部では斎藤勢を破って長井甲斐守らを討ち取りました。それでも、美濃はすぐには手に入りません。

そこで信長は足場を変えます。まず「二の宮山へ移る」と命じて家臣を困らせ、あとから小牧山に変更しました。小牧山は麓まで川で家財を運べるので、皆は喜んで移ります。築城を目の前で見た小口(おぐち)の城兵は城を捨てて犬山へ退き、犬山方の家老たちも丹羽長秀を通じて味方になりました。こうして犬山城は孤立します。

原典のあらすじ②:敵の味方を一人ずつ減らす

切り崩しは美濃の中にも広がります。加治田(かじた)城の佐藤父子が味方につくと、信長は兵粮の資金として黄金を与えました。続いて宇留摩(うるま)城と猿啄(さるばみ)城を攻め、猿啄では上の山を取って水の手を断ち、両城を退かせます。長井隼人が築いた堂洞(どうほら)の砦も激戦の末に落ちました。のちに本書を書く太田牛一は、ここで屋根に上って矢を射続け、信長に褒められて領地を増やされています。

ただし稲葉山の龍興方の抵抗は続きます。四月上旬には新加納(しんかのう)で迎え撃つ構えを取られ、間の土地が馬を動かせない難所だったため、信長はその日は兵を引きました。

原典のあらすじ③:人質を待たずに城を囲む

八月一日、稲葉伊予守・氏家卜全・安東伊賀守の美濃三人衆が、味方になるので人質を受け取ってほしいと申し出ます。信長は使者を西美濃へ送りました。ところが人質が届く前に急に出陣し、瑞龍寺山(ずいりゅうじやま)へ駆け上がります。敵か味方かと人々が戸惑ううちに、強い風の中で町へ火を放ち、城のまわりを丸裸にしました。

翌日には工事を割り当て、鹿垣(ししがき)という柵を四方に巡らせて城を封じ込めます。三人衆も驚きながら礼に来ました。牛一は、信長は何をするにもこのように身軽に動く、と書きとめています。八月十五日、龍興は降参して舟で河内長島へ退き、信長は美濃の仕置きを命じて小牧山から稲葉山へ移りました。

この話の背景:道三の言葉と、通説の部分

美濃は、信長の舅である斎藤道三が治めた国でした。首巻の前のほうで、道三は聖徳寺で信長に会ったあと、自分の子らはあの「たわけ」の家来同然になるだろう、という意味のことを語ります。その道三は子の義龍と戦って討死しました。稲葉山入城をこの言葉の実現とみるのは後世の読み方で、この段の本文が予言に触れているわけではありません。

また、この段の本文は月日が中心で、攻略を永禄10年(1567年)とするのは通説です。「天下布武」の印を使い始めたことも、本文ではなく同時代の文書から分かる補足です。

漫画版で変えたところ

原典は戦況を淡々と記すだけなので、漫画では次の部分を想像で補っています。信長の焦りや、人質を待たないと決めた瞬間の考え。三人衆が寝返りを相談する場面。龍興の内面と退去の様子。火の中の町の人々。小牧山への移転をぼやく家臣の会話。牛一を語り手や目撃者にする見せ方(堂洞の働き以外)。

結びで信長が空を見上げて「天下」を口にする場面も、原典にはない創作です。一方、人質を待たない出陣、町への放火、鹿垣での封じ込め、龍興の舟での退去は原典にある出来事です。

漫画で読むには

大軍に勝った信長が、山の上の城ひとつに「帰るぞ」を繰り返す。その遠回りと、最後の速さの落差は、絵で見るといっそう伝わります。Manga Portal の『織田信長 ―信長公記・魔王と呼ばれた男の生涯―』第5話「大軍に勝った殿が、山に勝てない」は、全話無料で、会員登録なしで読めます。原典との違いを探しながら読むのもおすすめです。

この話の登場人物

織田信長(おだ のぶなが)
尾張の大名。美濃を攻め、機を見ると人質の到着も待たずに動く。
斎藤龍興(さいとう たつおき)
美濃の当主。稲葉山城を守るが、囲まれて降参し舟で長島へ退く。
美濃三人衆(みのさんにんしゅう)
稲葉伊予守・氏家卜全・安東伊賀守。信長に味方すると申し出る美濃の有力者。
丹羽長秀(にわ ながひで)
信長の家臣。内通の取り次ぎと城攻めの両方で働く。
太田牛一(おおた ぎゅういち)
信長の家臣で『信長公記』の著者。堂洞で弓の働きを褒められる。
斎藤道三(さいとう どうさん)
信長の舅で美濃の前の国主。信長の器量を見抜いたが、子の義龍と戦って討死した。

よくある質問

信長はどうやって稲葉山城を落とした?

周りの城や武将を少しずつ味方につけて孤立させました。最後は美濃三人衆の申し出を受け、人質を待たずに出陣して町を焼き、柵で城を囲んで降参させました。

美濃三人衆とは誰?

稲葉伊予守(稲葉一鉄の名でも知られる)・氏家卜全・安東伊賀守の3人で、美濃の有力者です。『信長公記』では、申し合わせて信長の味方になると申し出ています。

稲葉山城の戦いはいつ?

原典の本文は八月一日から十五日という月日を中心に書いており、年は永禄10年(1567年)とするのが通説です。

稲葉山城と岐阜城は同じ城?

同じ城です。信長が移ったあと、井口の地が「岐阜」と改められ、城も岐阜城と呼ばれるようになったと広く知られています。

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