この話のもとになった物語
聖徳寺の会見とは?信長と斎藤道三の対面のあらすじ【信長公記】
ひとことで言うと: 聖徳寺(正徳寺)の会見は、「たわけ」と噂される婿の織田信長を笑ってやろうとした舅の斎藤道三(山城道三)が、朱い長槍五百本の行列と、見違えるような正装で現れた信長に圧倒される話です。会見のあと、道三は「自分の子どもたちは、いずれ信長の家来になるだろう」と嘆きました。太田牛一の『信長公記』首巻に書かれている出来事です。
聖徳寺の会見のあらすじ(『信長公記』より)
ある年の四月下旬、美濃(今の岐阜県南部)の山城道三が、婿の織田上総介信長に「富田の寺内にある正徳寺まで出向くので、そちらも来てほしい」と申し入れました。富田は七百軒ほどの家が並ぶ豊かな寺内町で、美濃と尾張の両方から認められた土地だと説明されています。会見の年はこの段には書かれていませんが、天文22年(1553年)とする説が広く知られています。道三のねらいは、世間で「たわけ(愚か者)」と言われている婿を実際に見て、笑ってやることでした。そこで、きちんと礼装させた年配の家臣七、八百人を寺の縁側にずらりと並べ、自分は町外れの小さな家に隠れて、やって来る行列をこっそり覗きました。
現れた信長は、髪を茶筅のように結い、袖を外した湯帷子を着て、刀の柄を縄で巻き、腰には火打袋や瓢箪をいくつもぶら下げた、とても変わった格好でした。ところが、その後ろには長さ三間半(6メートル以上)もある朱い槍がおよそ五百本、弓と鉄砲も五百挺続いていたのです。
寺に着くと、信長は屏風で周りを囲み、生まれて初めて髪を折髷に結い直しました。いつの間に用意したのか誰も知らない長袴をはき、小刀を差した正装で姿を見せると、道三の家臣たちは「これまでのたわけぶりは、わざとだったのか」と肝をつぶします。信長は促されても知らん顔で縁の柱に寄りかかり、取り次ぎの堀田道空が道三を紹介すると、短く「であるか」と答えてから礼をしました。二人は湯漬を食べ、盃を交わして、会見は無事に終わります。
帰り道、家臣の猪子兵介が「やはりたわけでした」と言うと、道三は「だから無念なのだ。わしの子どもたちは、あのたわけの門の外に馬をつなぐ(家来になる)ことになるだろう」と答えました。それからは、道三の前で信長をたわけと呼ぶ者はいなくなったといいます。
主な登場人物
中心になるのは、若き織田信長と、美濃の領主で信長の舅にあたる斎藤道三の二人です。道三の側には、取り次ぎ役の堀田道空と春日丹後、帰り道で道三の本音を引き出す猪子兵介がいます。原典に出てくる人物はこれだけで、会見の座敷で二人がどんな話をしたのかは書かれていません。
この場面が伝えていること(時代の背景)
戦国時代、隣り合う国の大名どうしは、結婚によって手を結ぶことがよくありました。信長と道三も、道三の娘が信長に嫁いだことで親子の関係になっていましたが、相手が頼れる人物かどうかは、自分の目で確かめるしかありません。この会見は、いわばお互いの力を見せ合う場でした。
面白いのは、信長が「見た目の奇抜さ」と「本当の実力」をはっきり使い分けていることです。行列ではたわけ者のふりをしながら、長い槍と多くの鉄砲で軍の力を見せつけ、寺では一転して礼儀正しい姿で現れました。帰り道、美濃の槍は短く尾張の槍は長かったという一文も、両国の差をさりげなく示しています。人を見た目だけで判断してはいけない、という教訓としても読むことができます。
漫画版で変えたところ・足したところ
漫画では、原典の流れをそのまま守りつつ、絵で伝えるためにいくつかの場面をふくらませています。たとえば、小屋から覗く道三の表情や独り言、家来とのやりとり、屏風の陰で着替える細かな動き、正装をこっそり用意したいきさつなどは漫画で考えた部分です。
また、原典には会見中の会話がないため、座敷での台詞は最小限にとどめて創作しています。信長の妻(道三の娘)の気持ちや登場、天気や町並み、鉄砲隊の並び方なども、この段には書かれていない漫画オリジナルの描写です。
漫画で読むには
文字で読むと一瞬の出来事も、漫画で見ると、小屋の隙間から五百本の朱い槍が目に飛びこんでくる道三の驚きや、正装の信長が現れた瞬間の空気がよく伝わります。このページの漫画『織田信長 ―信長公記・魔王と呼ばれた男の生涯―』は全話無料、会員登録もいりません。第2話で「たわけ」の婿の本当の姿を確かめてみてください。
この話の登場人物
- 織田信長(おだ のぶなが)
- 「たわけ」と噂される尾張の若殿で、奇抜な姿の裏に長槍五百本の軍勢と、誰も知らない正装を用意していた主人公。
- 斎藤道三(さいとう どうさん)
- 『信長公記』では山城道三と呼ばれる美濃の領主で、婿の信長を笑うつもりが、その器の大きさを見抜いて嘆く舅。
- 堀田道空(ほった どうくう)
- 道三側の取り次ぎ役で、信長に「この方が山城殿です」と道三を紹介し、湯漬を出した人物。
- 春日丹後(かすが たんご)
- 道三の家臣で、堀田道空と並んで信長に早く座敷へ入るよう促した人物。
- 猪子兵介(いのこ ひょうすけ)
- 道三の家臣で、帰り道に「やはりたわけでした」と言い、道三の本音を引き出した人物。
よくある質問
聖徳寺の会見とは何ですか?
美濃の斎藤道三と、婿の織田信長が、富田(今の愛知県一宮市あたり)の正徳寺(聖徳寺)で初めて対面した出来事です。太田牛一の『信長公記』首巻に書かれています。年は天文22年(1553年)とする説が一般的です。
斎藤道三はなぜ信長に会おうとしたのですか?
世間で信長が「たわけ(愚か者)」と言われていたので、実際に見て笑ってやろうと考えたからだと『信長公記』は書いています。そのために礼装の家臣を大勢並べ、自分は小屋から行列を覗きました。
信長の「であるか」とはどんな場面の言葉ですか?
取り次ぎの堀田道空が「この方が山城殿(道三)です」と紹介したとき、信長が短く返した言葉です。信長はそのあと敷居の内に入り、道三に礼をして席につきました。
会見のあと道三は信長をどう評価しましたか?
家臣が「やはりたわけです」と言うと、道三は「だから無念だ。自分の子どもたちはいずれ信長の家来になる」と嘆きました。信長の本当の力を見抜いたことを示す場面です。
信長の妻(濃姫)は会見に出てきますか?
『信長公記』のこの段には、道三の娘である信長の妻は登場しません。漫画で妻の心情や姿を描いている部分は、物語をわかりやすくするための創作です。
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