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第9話老婦人の前で尿意が限界、ここは海東海道中膝栗毛(七里の渡し)

上品な老婦人の前で旅の通を気取り、船に乗る前の便所を断った弥次さん。降りられない海の上で限界を迎え、頭を下げるか手近な竹筒で済ますかの二択で、見栄を選んでしまう。

19ページ全話無料・会員登録なし

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次回予告第10話 第10話 わしが十返舎一九だ!

作者本人の名を作中でかたって大恥。200年前の『メタ・ギャグ』

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この話のあらすじ

『東海道中膝栗毛』は、江戸に住む弥次郎兵衛と喜多八が東海道を西へ旅しながら、失敗と悪ふざけを重ねていく滑稽本です。作者は十返舎一九で、享和2年(1802)に刊行が始まりました。今回の場面は、二人が熱田の宮の宿にたどり着くところから動き出します。 宮から桑名までは、陸を歩かずに海の上を七里(約28キロ)、船で渡ります。これが「七里の渡し」です。二人はほかの旅人と同じ乗合船に乗り込み、狭い船の中で軽口をたたき合います。その途中、小便をもよおした者が人目を気にして竹筒で用を足そうとし、騒ぎになります。まわりの客も巻き込む、尾籠(びろう)な笑い、つまり人前では口にしにくい下品な失敗の笑いです。

原典東海道中膝栗毛 ―弥次さん喜多さん珍道中― — 日本 · 享和2年〜文化11年(1802〜1814年)

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この話のもとになった物語

東海道中膝栗毛 七里の渡しのあらすじ|弥次喜多の船中騒動とは

ひとことで言うと: 東海道中膝栗毛の七里の渡しは、弥次郎兵衛と喜多八が宮(熱田)から桑名まで乗合船で海を渡る場面です。船の中で小便をもよおした者が竹筒で済ませようとして騒ぎになり、船はやがて桑名に着いて旅が続きます。十返舎一九の滑稽本『東海道中膝栗毛』に描かれた、見栄や体裁も吹き飛ぶ失敗の笑いの物語です。

元の物語のあらすじ(宮から桑名まで)

『東海道中膝栗毛』は、江戸に住む弥次郎兵衛と喜多八が東海道を西へ旅しながら、失敗と悪ふざけを重ねていく滑稽本です。作者は十返舎一九で、享和2年(1802)に刊行が始まりました。今回の場面は、二人が熱田の宮の宿にたどり着くところから動き出します。

宮から桑名までは、陸を歩かずに海の上を七里(約28キロ)、船で渡ります。これが「七里の渡し」です。二人はほかの旅人と同じ乗合船に乗り込み、狭い船の中で軽口をたたき合います。その途中、小便をもよおした者が人目を気にして竹筒で用を足そうとし、騒ぎになります。まわりの客も巻き込む、尾籠(びろう)な笑い、つまり人前では口にしにくい下品な失敗の笑いです。船はやがて桑名に着き、二人は無事に海を渡りきって、旅を続けます。

なお、竹筒を使ったのが弥次郎兵衛か喜多八か、筒は誰のものか、騒ぎがどう収まったかといった細かい点は、この記事の時点では原典の本文と照らし合わせて確かめられていません。そのため、ここでは断定せずにおきます。

七里の渡しとはどんな場所か

東海道は、江戸と京都を結ぶ江戸時代の大きな街道です。その中で宮と桑名の間は海の道でつながれており、東海道でただ一つの海路といわれます。ひたすら歩く旅の途中で、ここだけは船に身を任せることになります。一度沖へ出れば、途中で降りることはできません。今回の騒動は、この逃げ場のなさがあるからこそ笑いになるのです。

着いた先の桑名は、焼き蛤で知られる町です。「その手は桑名の焼き蛤」という言葉遊びが今も残るほど、名物として親しまれてきました。宮と桑名の両側には、渡し場の跡が今も残っていて、物語の舞台を実際に訪ねることもできます。

この話が伝えていること(江戸の旅と笑い)

滑稽本とは、江戸時代の後期に広まった、笑いを楽しむための読み物です。立派な人物が活躍する話ではなく、どこにでもいそうな男たちの失敗や言い合いが中心になります。読者は二人を笑いながら、各地の宿場の様子や名物にも触れることができました。庶民の間で伊勢参りなどの旅が盛んになっていた時代の空気が、この作品を支えていたといえるでしょう。

七里の渡しの騒動も、教訓を語る話ではありません。どんなに格好をつけても、体の都合だけは待ってくれない。そのあたりまえのことを、大勢が乗り合わせた船の上で見せる笑いです。人前で恥をかきたくない気持ちは今の私たちにもよく分かるので、二百年以上たっても古びません。「弥次喜多」という呼び名が、にぎやかで失敗続きの旅を表す言葉として今も通じるのは、こうした親しみやすさがあるからでしょう。

漫画版で変えたところ

原典の流れとして押さえているのは、宮から乗合船で桑名へ渡ること、船中で小便をもよおして竹筒を使おうとし騒動になること、桑名に着いて上陸することです。

一方、上品な老婦人の前で弥次さんが旅の通を気取り、船に乗る前の便所を断ってしまうという筋立てと、頭を下げるか竹筒で済ますかの二択で見栄を選ぶ展開は、原典にあると確認できていません。漫画の見せ場として読んでください。当事者を弥次さんにしたことや竹筒の手に入れ方も、原典との照合が済むまでの仮の設定です。

そのほか、同じ船の客の顔ぶれや反応、海の広さや波、風、帆などの情景、騒動のあとの掛け合い、焼き蛤の味や店の様子は漫画の創作です。汗や蒸気、効果線、デフォルメした顔、水しぶきの記号を使い、直接的な絵にしないギャグ表現で描いています。七里が約28キロであることなど、外国の読者に向けた短い補足も漫画で足した部分です。

漫画で読むには

文章で読むと短い騒動ですが、追いつめられていく弥次さんの顔や、逃げ場のない船の空気は、絵で見るとまた違ったおかしさがあります。江戸の古典は難しそうと感じている人にも、入り口としてちょうどよい話です。Manga Portal の『東海道中膝栗毛 ―弥次さん喜多さん珍道中―』は全話無料で、会員登録なしで読めます。第9話で弥次さんの見栄の行方を見届けたら、前後の話で二人の旅も追ってみてください。

この話の登場人物

弥次郎兵衛(やじろべえ)
江戸に住むのらくらした中年男で、軽口と狂歌を好み、見栄を張っては失敗する主人公の一人。漫画第9話では竹筒の騒動の当事者として描かれる。
喜多八(きたはち)
弥次郎兵衛より年下の旅の相棒で、お調子者で色事に目がなく、弥次と悪ふざけや言い合いを続ける。
老婦人(ろうふじん)
漫画第9話で弥次さんが見栄を張る相手となる上品な女性で、原典に同じ人物がいるかは確認できていない。
乗合船の客たち(のりあいぶねのきゃくたち)
七里の渡しで同じ船に乗り合わせた旅人たちで、騒動に巻き込まれる。漫画での顔ぶれや反応は創作。
船頭(せんどう)
七里の渡しの船を操る人で、漫画での描かれ方は創作を含む。

よくある質問

七里の渡しとは何ですか?

東海道の宮(今の名古屋市熱田区)と桑名(今の三重県桑名市)の間を船で結んだ海の道です。距離は七里、約28キロで、東海道でただ一つの海路といわれます。

東海道中膝栗毛はどんな話ですか?

弥次郎兵衛と喜多八の二人が江戸を出て東海道を旅し、行く先々で失敗や悪ふざけを繰り広げる滑稽本です。作者は十返舎一九で、享和2年(1802)に刊行が始まり、大人気となって続編も書かれました。

七里の渡しの船で、竹筒を使って騒ぎを起こすのは誰ですか?

漫画第9話では弥次さんが当事者です。原典で弥次郎兵衛と喜多八のどちらなのかは、この記事の時点では本文と照らし合わせて確かめられていないため、断定しません。

老婦人の前で見栄を張る話は原典にありますか?

原典にあると確認できていないため、漫画の筋立てとして読んでください。原典の流れとして押さえているのは、乗合船の中で小便をもよおし、竹筒を使おうとして騒ぎになるところです。

桑名の焼き蛤は物語に出てきますか?

桑名が焼き蛤で有名なのは確かで、「その手は桑名の焼き蛤」という言葉遊びも知られています。ただ、原典のどの場面に出てくるかはこの記事の時点で確かめられておらず、漫画での味や店の様子の描写は創作です。

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