第11話かたきの首を掲げて、向かったのは墓泉岳寺への引き揚げ
討ち入りを終えた浪士たちは、仇・吉良上野介の首を槍に掲げ、雪の残る江戸の町を歩いて亡き主君の墓へ向かう。途中で、仲間にもらった干し柿をふところに入れた足軽が一人、黙って列から消える。墓前では大石が初めて涙を見せる。



















最後まで読んでくれてありがとう!
復讐の果てに待っていたのは、主君と同じ死。それでも彼らは「楽し」と詠んだ
討ち入りを終えた浪士たちは、仇・吉良上野介の首を槍に掲げ、雪の残る江戸の町を歩いて亡き主君の墓へ向かう。途中で、仲間にもらった干し柿をふところに入れた足軽が一人、黙って列から消える。墓前では大石が初めて涙を見せる。



















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復讐の果てに待っていたのは、主君と同じ死。それでも彼らは「楽し」と詠んだ
この話のもとになった神話
元禄15年12月15日(西暦1703年1月30日)の明け方、赤穂浪士たちは本所の吉良邸に討ち入り、吉良上野介を討ち取りました。首を取ったのは間十次郎だと伝えられています。浪士たちは裏門の側に集まって人数とけが人を確かめてから、首を持って屋敷を出ました。
まず近くの回向院で休もうとしましたが、寺は門を開けなかったと伝わります。一行は大名屋敷が並ぶ両国橋を避け、隅田川の東側を南へ歩いて永代橋を渡りました。そこから浅野家の元の上屋敷があった鉄砲洲、汐留、芝を通り、高輪の泉岳寺へ向かいます。道のりは10〜12kmほどでした。途中、吉田忠左衛門と富森助右衛門が隊を離れ、大目付・仙石伯耆守の屋敷へ討ち入りを届け出ました。これが自首にあたります。
泉岳寺に着くと、浪士たちは主君・浅野内匠頭の墓前に吉良の首を供え、焼香しました。首はその後、寺から吉良家へ返され、吉良家の家臣が出した受取状が泉岳寺に残っています。夜になると浪士たちは仙石邸に呼ばれ、細川・松平(久松)・毛利・水野の四つの大名家に分けて預けられました。そして翌年2月4日、預けられた先で46人が切腹しました。
中心にいるのは、元筆頭家老の大石内蔵助です。討ち入りから引き揚げ、届け出の手配、墓前での焼香までを取りまとめました。ただし、このとき何を思い、何を語ったのかは、原典からはほとんどわかりません。
ほかに、届け出役を務めた年長の吉田忠左衛門と富森助右衛門、首を取ったとされる間十次郎、浪士の中で一番若い15歳の大石主税がいます。浅野内匠頭は泉岳寺の墓として、吉良上野介は首だけの姿で、この場面に登場します。
四十七士の中でただ一人の足軽だった寺坂吉右衛門は、討ち入りに加わりながら、届け出た浪士や大名家に預けられた浪士の中に名前がなく、切腹もしていません。だから切腹したのは46人なのです。
いつ・どこで離れたのか(泉岳寺に着く前か後か)、なぜ離れたのか(大石が使いを命じたという説、自分で去ったという説など)は、史料や研究者によって意見が分かれています。寺坂はその後も長く生き、延享4年(1747年)に亡くなったとされます。彼が残した『寺坂信行筆記』は、討ち入りを知るための大切な手がかりの一つです。
浪士たちは討ち入りの後、逃げも隠れもせず、まず主君の墓に報告し、自分たちから幕府に届け出ました。最後まで筋を通そうとするこの姿は、江戸の人々の心を強くつかみました。道に大勢の見物人が集まったことは、多くの記録に残っています。
この出来事は、のちに人形浄瑠璃・歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』(寛延元年=1748年初演)になりました。劇では時代を室町時代に移し、名前も変えています。十一段目では、大星由良之助たちが高師直の首を取り、主君・塩冶判官の位牌に焼香して、花水橋を渡って引き揚げます。寺坂がモデルとされる足軽・寺岡平右衛門が、亡くなった義理の弟・早野勘平の財布を持って、勘平の代わりに焼香する場面もあります。これは史実ではなく、劇としての脚色です。
道すじ、届け出、墓前に首を供えたこと、焼香は、記録に沿って描いています。一方で、沿道の人々のセリフや表情、隊列の並び方、雪や寒さ、朝日の描写は漫画の演出です。永代橋のあたりで甘酒をふるまう店の場面は、地元の言い伝えをもとにしています。
寺坂が干し柿をふところに入れて黙って列から消える場面は創作で、離れた理由はあえて謎のまま残しました。墓前で大石が涙を見せることや、語りかける言葉も創作です。「殿、本懐を遂げました」のような台詞は原典にはありません。焼香の順番(大石が最初、間十次郎が次)も言い伝えによるものです。首を布で包んで槍の先に結ぶ姿も、包み方が史料によって違うため、わかりやすい形にしています。なお、本物の首は船で別に運んだという説もありますが、史料による裏付けは弱いとされます。
『忠臣蔵 ―四十七士、雪の夜の誓い―』は、Manga Portalで全話無料、会員登録なしで読めます。第11話では、討ち入りを終えた浪士たちが静かに泉岳寺へ歩く姿と、一人で消えていく足軽の背中を描きました。記録に残る事実と、記録に残らなかった心の動きを比べながら、ぜひ読んでみてください。
吉良の首を持って、本所の吉良邸から高輪の泉岳寺まで10〜12kmほど歩きました。泉岳寺は主君・浅野内匠頭の墓がある寺で、浪士たちは墓前に首を供えて焼香しました。
足軽の寺坂吉右衛門が、討ち入りの後に一行を離れたからです。いつ・なぜ離れたのかは史料によって違い、大石の命令だったという説や、自分で去ったという説があります。
泉岳寺から吉良家へ返されました。吉良家の家臣が書いた受取状が、今も泉岳寺に残っています。
この言葉は原典には出てこず、後の創作です。墓前で大石が何を語ったのかは、記録からはほとんどわかっていません。
討ち入りを果たした大星由良之助たちが、高師直の首を取って塩冶判官の位牌に焼香し、花水橋を渡って引き揚げる場面です。赤穂事件をもとに、時代と名前を変えて劇にしたものです。