第10話追い続けた男は、炭小屋で震えていた吉良邸討ち入り
夜明けが近づいても吉良上野介が見つからない。台所裏の暗い炭小屋で、浪士たちが見つけたのは白い寝間着姿で震える一人の老人だった。1年9か月の追跡が終わった朝、上がったのは勝ちどきではなく、静かな涙だった。



















最後まで読んでくれてありがとう!
仇討ちを果たした47人が向かったのは、逃げ道ではなく主君の墓だった
夜明けが近づいても吉良上野介が見つからない。台所裏の暗い炭小屋で、浪士たちが見つけたのは白い寝間着姿で震える一人の老人だった。1年9か月の追跡が終わった朝、上がったのは勝ちどきではなく、静かな涙だった。



















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仇討ちを果たした47人が向かったのは、逃げ道ではなく主君の墓だった
この話のもとになった神話
元禄15年12月14日の夜(正確には日付が変わった15日の明け方前)、もとは赤穂浅野家の家臣だった浪士47人が、江戸・本所にある吉良上野介の屋敷に討ち入りました。主君の浅野内匠頭が江戸城の松の廊下で吉良に斬りつけ、その日のうちに切腹させられてから、およそ1年9か月後のことです。
浪士たちは表門と裏門の二手に分かれ、梯子などを使って屋敷に入りました。仲間を見分けるための合い言葉と、そろいの目印(合い印)を決めてありました。吉良を討ったら笛で合図して集まる、という段取りも前もって決めていました。屋敷の中では吉良方の侍と斬り合いになり、家来たちが住む長屋からは人が出てこないように押さえました。
ところが、寝所を調べても吉良の姿がありません。何度探しても見つからず、時間だけが過ぎていきました。
やがて浪士たちは、台所の近くにある炭部屋(物置)を調べました。すると中から茶碗や皿、炭が投げつけられ、吉良方の者が刀を抜いて飛び出してきたので、浪士たちはこれを討ち取ります。奥には白い小袖を着た老人がいました。浪士側の記録によると、間十次郎が槍で突き、武林唯七が斬りつけ、十次郎が首を取りました。ただし、誰が二の太刀(二度目に斬りつけた一撃)を入れたかは、史料によって書き方が違います。
この老人が吉良本人だと確かめると、浪士たちは笛を吹いて全員を集め、人数を数えました。それから首を持って屋敷を出て、浅野内匠頭の墓がある泉岳寺へ向かいます。その途中、吉田忠左衛門と富森助右衛門は、幕府の大目付・仙石伯耆守のところへ、討ち入りのことを届け出に行きました。
「寝床がまだ温かかった」「額と背中の古い傷で本人だとわかった」「捕まえた家来に顔を確かめさせた」という話もよく知られています。しかし、この記事がもとにした史料の原文では、まだ確かめられていません。こうした話は「そういう言い伝えもある」と受け止めるのがよいでしょう。
首を取った間十次郎は、浪士の中では若い一人です。頭領の大石内蔵助は表門の隊を率いました。内蔵助の子で、まだ十代半ばだった大石主税は裏門の隊の大将となり、年上の吉田忠左衛門らがそれを支えました。足軽の寺坂吉右衛門は討ち入りに加わりましたが、引き揚げの途中で一行から離れました。そのため、討ち入ったのは47人なのに、のちに切腹したのは46人です。寺坂が離れた理由は、史料を見てもはっきりしません。
吉良は「高家」という、幕府の儀式や礼法を受け持つ家柄でした。松の廊下の事件では、斬りつけた浅野だけが切腹させられ、お家も取りつぶされました。一方、吉良にはおとがめがありませんでした。この処分に納得できなかった家臣たちが、主君の無念を晴らそうとしたのが討ち入りです。
討ち入りのあと、浪士たちはいくつかの大名家に預けられ、翌年の2月に切腹しました。この事件はのちに人形浄瑠璃や歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』などのお芝居になり、「忠臣蔵」という名前で今も語り継がれています。浪士たちがそろいの装束を着た姿は、お芝居から広まったイメージが強いといわれています。
第10話は、記録に残っている流れ(炭部屋での発見、十次郎の槍、笛の合図、泉岳寺への引き揚げ)をもとにしています。一方で、次のところは漫画で作ったり変えたりした部分です。
捜索中の浪士たちが感じる焦りや、交わす会話は漫画の演出です。捜索が長引いたことは記録にありますが、夜明けが近づいて焦る気持ちまでは書かれていません。炭部屋から出てきた吉良方の者の名前や顔つきも、記録で確かめられないため自由に描いています。吉良の最期の言葉は記録に残っていないので、漫画でも何も言わせていません。
浪士たちが雪の上に膝をつき、静かに涙を流す場面は、史料にはない漫画オリジナルの場面です。前の日の雪が残る晴れた夜だったという描き方も、よく語られる説にもとづいています。
『忠臣蔵 ―四十七士、雪の夜の誓い―』は、Manga Portalで全話無料、会員登録なしで読めます。第10話は、1年9か月追い続けた相手が、暗い炭小屋で震える一人の老人だったとわかる回です。史実の流れを知ってから読むと、勝ちどきではなく涙で迎えた朝の重さが、いっそう伝わってくるはずです。前の話から続けて読むのもおすすめです。
屋敷の台所の近くにある炭部屋(物置)に隠れていました。浪士たちが調べると中から茶碗や炭が投げつけられ、その奥に白い小袖姿の吉良がいたと記録されています。
浪士側の記録では、間十次郎が槍で突き、武林唯七が斬りつけ、十次郎が首を取ったとされています。誰が二度目に斬りつけたかは、史料によって書き方が少し違います。
元禄15年12月14日の夜で、実際に討ち入ったのは日付が変わった15日の明け方前でした。主君の浅野内匠頭が切腹してから、およそ1年9か月後のことです。
足軽の寺坂吉右衛門が、討ち入りのあとの引き揚げの途中で一行から離れたからです。なぜ離れたのかは、史料を見てもはっきりしていません。
吉良の首を持って泉岳寺の浅野内匠頭の墓へ向かい、途中で二人が幕府の大目付に届け出ました。その後、浪士たちはいくつかの大名家に預けられ、翌年2月に切腹しました。