第8話お茶を習う侍が、探していた一日赤穂浪士の江戸潜伏と大高源五
家族を守るために妻と別れ、町人に身をやつして江戸に潜んだ赤穂浪士たち。茶人に弟子入りした大高源五が「吉良邸で茶会がある日」をつかみ、浪士たちは何も言わずに別れのあいさつを交わしていく。



















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1702年、雪の夜の午前4時。47人の侍が、ひとつの屋敷に攻め入った
家族を守るために妻と別れ、町人に身をやつして江戸に潜んだ赤穂浪士たち。茶人に弟子入りした大高源五が「吉良邸で茶会がある日」をつかみ、浪士たちは何も言わずに別れのあいさつを交わしていく。



















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1702年、雪の夜の午前4時。47人の侍が、ひとつの屋敷に攻め入った
この話のもとになった神話
元禄14年(1701年)3月、赤穂藩主の浅野内匠頭が、江戸城の松之大廊下で高家の吉良上野介に斬りつけました。内匠頭はその日のうちに切腹となり、赤穂浅野家は取り潰されます。一方、吉良にはおとがめがありませんでした。なぜ斬りつけたのかは、当時の記録を見てもはっきりわかっていません。
筆頭家老の大石内蔵助は、まず内匠頭の弟・浅野大学を立てて家を再び興すことを幕府に願い出ました。しかし元禄15年7月、大学が広島の浅野本家に預けられることになり、その望みは絶たれます。同じ月に京都の円山で開かれた話し合いで、吉良を討つ方針が固まりました。
それより前の4月ごろ、大石は妻のりくを幼い子どもたちと一緒に但馬豊岡の実家へ帰し、離縁しています。家族に罪が及ばないようにするためです。長男の主税だけは手元に残し、同志に加えました。主税が先に江戸へ下り、大石も10月に京を発って11月に江戸へ入ります。偽名を使い、日本橋の商人の宿に身を隠しました。
江戸に集まった浪士たちは、本所にある吉良の屋敷の近くで町人として暮らし始めます。前原伊助は米屋、神崎与五郎は小豆屋を名乗って店を開き、屋敷の出入りを見張りました。前原は自分で書いた記録『赤城盟伝』も残しています。
いちばん大事なのは、吉良が確実に屋敷にいる日を知ることでした。そこで動いたのが、子葉という俳号を持つ俳人でもあった大高源五です。源五は商人を名乗って、吉良家に出入りしていた茶人・山田宗徧に弟子入りし、吉良邸で茶会が開かれる日を探りました。茶会があれば、主人の吉良は必ず屋敷にいるはずです。やがて「12月14日に茶会あり」という知らせが入り、その夜の討ち入りが決まりました。この知らせは源五が宗徧から聞き出したとされますが、別の浪士・横川勘平の経路を伝える記録もあります。また、はじめは12月5日を予定していたが都合で延ばした、という説もあります。なお、宗徧が浪士たちのたくらみを知っていたことを示す史料はありません。
大石は討ち入りの心得を「人々心覚」という書き付けにまとめました。吉良を討ったら合図をして引き揚げること、けが人の扱い、幕府の役人への応じ方などを決めたものです。さらに、瑤泉院(内匠頭の妻)から預かっていたお金の使い道を記した帳面を、瑤泉院の用人・落合与左衛門に届けました。足りない分を大石が自分のお金で補ったことも書かれています。浪士たちは家族や友人に手紙で別れを告げ、源五が母にあてた手紙も残っています。足軽の寺坂吉右衛門は、こうした準備から討ち入りまでを『寺坂信行筆記』に書き残しました。
忠臣蔵の有名な場面には、のちの時代の芝居や講談で作られたものも多くあります。大石が瑤泉院を訪ねてそれとなく別れを告げる「南部坂雪の別れ」は講談の創作です。合言葉の「山」「川」や陣太鼓も、「人々心覚」には出てきません。
人形浄瑠璃・歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』九段目「山科閑居」は、雪の日の大星由良助(大石にあたる人物)の家が舞台です。息子・力弥との祝言を願って訪ねてきた加古川本蔵の妻と娘に、由良助の妻お石は本蔵の首を求めます。本蔵は力弥の槍に自ら突かれ、敵の屋敷の絵図を差し出します。本蔵たちは芝居だけの人物で、討ち入り前の家族の別れを、親子・夫婦の物語として描き直したものです。
討ち入りは、勢いまかせではなく、何か月もの準備の末に行われました。家族を守るための離縁、正体を隠した暮らし、細かな決まりやお金の報告。そこからは、主君のかたきを討つことと、残される人を守ることの両方を考えた武士たちの姿が見えてきます。
漫画では、史料に書かれていない部分を物語として描いています。大石とりくの別れの言葉や表情、町人に化けた浪士たちの暮らしや近所の人とのやりとり、源五と宗徧の稽古の会話、茶会の日を聞き出す瞬間の描き方は創作です。ただし宗徧は、何も知らない人として描いています。帳面を届ける使いの場面も、誰が行き、瑤泉院がどう受け取ったかは漫画オリジナルです。12月14日の天気は記録によって違うため、雪は演出として描いています。九段目「山科閑居」は、芝居を見る場面などの形で史実と重ね合わせています。
第8話では、言葉にしないまま別れのあいさつを交わしていく浪士たちの姿を、冬の江戸の景色とともに描いています。史実で何が起きたかを知ってから読むと、一コマごとの表情の意味が見えてくるはずです。『忠臣蔵 ―四十七士、雪の夜の誓い―』はManga Portalで全話無料、会員登録なしで読めます。前の話から続けて、討ち入りまでの日々をたどってみてください。
その日に吉良邸で茶会が開かれると知り、吉良が確実に屋敷にいると考えたからです。情報は大高源五が茶人の山田宗徧から聞き出したとされますが、別の浪士の経路を伝える記録もあります。
赤穂浪士の一人で、子葉という俳号を持つ俳人でもありました。商人を名乗って茶人の山田宗徧に弟子入りし、吉良邸の茶会の日取りを探りました。母にあてた手紙も残っています。
討ち入りのあと、家族に罪が及ばないようにするためです。元禄15年4月ごろ、りくを子どもたちと一緒に但馬豊岡の実家へ帰しました。長男の主税だけは手元に残しました。
大石が瑤泉院を訪ねて別れを告げる場面は講談の創作で、史実ではありません。実際には、大石は瑤泉院から預かったお金の帳面を、用人の落合与左衛門に届けています。
大石がまとめた討ち入りの心得書「人々心覚」には出てきません。のちの芝居や講談で広まった話と考えられています。