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第5話一度遅れた剣士は、もう待てなかった堀部安兵衛・高田馬場の決闘

恩人の果たし合いに「間に合わなかった」過去を持つ剣客ホリベ・ヤスベエは、待ちつづける家老オオイシに「一日も早くキラを討て」と迫る。キラの屋敷替えと隠居を好機と見て山科へ乗りこんだヤスベエは、ついに家老の前で刀の柄を握る。

19ページ全話無料・会員登録なし

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次回予告 · 制作中第6話 萱野三平、忠と孝のはざまで

討ち入りに加われなかった「48人目」の物語

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この話のもとになった神話

忠臣蔵 堀部安兵衛のあらすじ|高田馬場の決闘と大石内蔵助との対立

史実のあらすじ ― 主君の死から討ち入りが決まるまで

元禄14年(1701)3月14日、赤穂藩主・浅野内匠頭は江戸城の中で吉良上野介に斬りかかり、その日のうちに切腹を命じられました。浅野家は取り潰されましたが、吉良にはお咎めがありませんでした。江戸にいた家臣の堀部安兵衛は、奥田兵左衛門・高田郡兵衛とともに赤穂へ急ぎ、城代家老の大石内蔵助に強い行動をとるよう求めます。しかし大石は、内匠頭の弟・浅野大学を立てて浅野家を再興してもらうよう願い出ることを先にすると考えていました。

江戸に戻った安兵衛たちは、京都・山科に住む大石へ何度も手紙を送り、早く吉良を討とうと迫ります。8月には吉良の屋敷が呉服橋から隅田川の東の本所へ移され、急進派はこれを好機ととらえました。大石が江戸へ送った使者の原惣右衛門らも、逆に安兵衛たちの考えに同調してしまいます。11月、大石は自ら江戸へ下って話し合い、翌年3月の一周忌ごろを目安にすると約束しました。12月には吉良が隠居します。

ところが年が明けても大石は動かず、安兵衛は手紙で強く不満をぶつけます。仲間の高田郡兵衛は親族の事情で抜けていきました。安兵衛は自ら上方へ上り、大石らと直接話し合います。元禄15年7月、浅野大学が広島の本家に預けられることが決まって再興の望みが消え、7月28日の円山会議で、ついに討ち入りが決まりました。

高田馬場の決闘 ― 「十八人斬り」は本当?

安兵衛の名を広めたのが、元禄7年(1694)2月の高田馬場の決闘です。中山安兵衛と名乗る浪人だったころ、同郷で年長の知り合いだった伊予西条藩士・菅野六郎左衛門が、村上庄左衛門らと果し合いをすることになり、安兵衛はこれに加勢して相手方を斬りました。菅野はこのときの傷がもとで亡くなったと伝わります。物語では菅野を「叔父」と呼ぶことがありますが、血のつながりはありません。

有名な「十八人斬り」や「酒に酔ったまま駆けつけた」という話は、後の時代の講談が大きくふくらませたものです。記録では、討ち取ったのは数人ほどとするものが多く、相手方の人数や名前も記録によって違います。この評判を聞いた赤穂藩の老臣・堀部弥兵衛が安兵衛を婿養子に望み、安兵衛は浅野家に仕えることになりました。

急進派と慎重派 ― 二人がぶつかった理由(時代の背景)

安兵衛と大石の対立は、どちらが正しいかという単純な話ではありません。大石にとっては、浅野家が残ることこそ主君のためになる道でした。再興を願い出ている最中に討ち入れば、大学の立場を悪くするおそれもあります。一方の安兵衛は、主君の無念を晴らすのが家臣のつとめだと考え、時間がたてば仲間の心が離れ、吉良を討つ機会もなくなると心配していました。実際に、途中で抜ける者も出ています。

安兵衛はこのやり取りの手紙の控えを残しており、『堀部武庸筆記』として今に伝わっています。大石への遠慮のない反論も含まれていて、討ち入りまでの旧臣たちの迷いや議論を知るための大切な史料になっています。

漫画版で変えたところ・足したところ

漫画では、安兵衛と大石の議論を、山科での「直接対決」という一つの場面にまとめています。実際の議論は、赤穂での面会、江戸での話し合い、上方での会談、そして何通もの手紙に分かれていました。大石の「その時は必ず」という一言の約束も、江戸で示した期限の目安などをもとにした脚色です。また、恩人の果たし合いに「間に合わなかった」という安兵衛の心の傷は、漫画が人物の気持ちを描くために置いた設定として読んでください。

吉良の屋敷替えを「罠ではないか」と疑う場面は、当時の噂や後世の解釈をもとに、登場人物の推測として描いたものです。二人の手紙の中でこれが論じられたことは確認されていません。高田馬場の殺陣や天気、見物人の様子、安兵衛が手紙を書く部屋、妻との会話、刀を収めても目が燃えたままのラストも、漫画オリジナルの演出です。

漫画で読むには

早く討ちたくて待てない安兵衛と、家を守るために待ちつづける大石。二人の思いのぶつかり合いは、絵で見るとよりはっきり伝わってきます。『忠臣蔵 ―四十七士、雪の夜の誓い―』はManga Portalで全話無料、会員登録なしで読めます。第5話から先は、いよいよ討ち入りへ向かう物語が続きます。気になった方は、第1話から通して読んでみてください。

この話の登場人物

堀部安兵衛(ほりべ やすべえ)
高田馬場の決闘で名を上げた剣客で、一日も早い討ち入りを主張した江戸急進派の中心人物。
大石内蔵助(おおいし くらのすけ)
赤穂藩の城代家老で、浅野家の再興を第一に考え、討ち入りを慎重に見きわめた旧臣たちのまとめ役。
奥田兵左衛門(おくだ ひょうざえもん)
安兵衛とともに赤穂へ下り、連名で大石に早い決行を迫った年長の同志。
高田郡兵衛(たかだ ぐんべえ)
はじめは安兵衛と行動をともにしたが、親族の事情で途中から仲間を離れた急進派の一人。
堀部弥兵衛(ほりべ やへえ)
高田馬場の評判を聞いて安兵衛を婿養子に迎えた赤穂藩の老臣で、高齢ながら討ち入りを支持した。
菅野六郎左衛門(すがの ろくろうざえもん)
安兵衛と同郷の年長者で、高田馬場の果し合いの当事者となり、そのときの傷がもとで亡くなったと伝わる伊予西条藩士。

よくある質問

堀部安兵衛の高田馬場の決闘とは何?

元禄7年(1694)2月、浪人だった中山安兵衛(のちの堀部安兵衛)が、同郷の年長者・菅野六郎左衛門の果し合いに加勢した出来事です。この評判がきっかけで、赤穂藩士の堀部弥兵衛の婿養子になりました。

高田馬場の「十八人斬り」は本当?

後の時代の講談による誇張と考えられています。記録では、安兵衛が討ち取ったのは数人ほどとするものが多く、相手方の人数も記録によって違います。

堀部安兵衛と大石内蔵助はなぜ対立したの?

大石は浅野大学による浅野家の再興を優先し、願いが聞き届けられるかどうか決まるまで討ち入りを控えました。安兵衛は時間がたつほど機会も仲間も失うと考え、早い討ち入りを求めつづけたため、意見がぶつかりました。

『堀部武庸筆記』とはどんな史料?

堀部安兵衛が、大石らとやり取りした手紙の控えなどをまとめた記録です。討ち入りが決まるまで、旧臣たちがどんな議論をしていたかを知る手がかりになります。

赤穂浪士の討ち入りが決まったのはいつ?

元禄15年(1702)7月、浅野大学が広島の本家に預けられて再興の望みが消えたあと、7月28日の円山会議で決まりました。実際の討ち入りは同じ年の12月14日の夜です。

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