第3話幕府の軍を前に、刀を抜くな赤穂城明け渡し
シリーズ第3話。主君を失い取りつぶしが決まった赤穂城で、戦うか死ぬかで家臣たちが割れるなか、大石内蔵助は「今は剣を抜かない」と決める。逃げ去る家老、紙くずになりかけた藩札、江戸から駆けつけた急進派を前に、大石は一滴の血も流さずに城を明け渡す。
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最後まで読んでくれてありがとう!
世間に笑われながら遊び続けた男。本当に酔っていたのは誰だったのか
シリーズ第3話。主君を失い取りつぶしが決まった赤穂城で、戦うか死ぬかで家臣たちが割れるなか、大石内蔵助は「今は剣を抜かない」と決める。逃げ去る家老、紙くずになりかけた藩札、江戸から駆けつけた急進派を前に、大石は一滴の血も流さずに城を明け渡す。
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この話のもとになった神話
元禄14年(1701)3月14日、赤穂藩主の浅野内匠頭は江戸城で吉良上野介に斬りつけました。内匠頭はその日のうちに切腹を命じられ、赤穂藩は取りつぶしと決まります。この知らせは、早水藤左衛門と萱野三平の急使によって3月19日に赤穂へ届きました。続いて原惣右衛門たちも到着します。
城代家老の大石内蔵助は家臣を集め、これからどうするかを話し合う「評定」を開きました。城にこもって幕府に抵抗する案、城の前でそろって腹を切る(追腹)案、おとなしく城を明け渡す案が出て、話はなかなかまとまりません。家老の大野九郎兵衛は開城を説きましたが、藩に残ったお金の分け方では大石と対立しました。大野は禄高(給料の多さ)に合わせて分ける案、大石は禄の低い者に多めに分ける案を出したとされます。
江戸からは堀部安兵衛・奥田兵左衛門・高田郡兵衛が赤穂へ駆けつけ、籠城か殉死をと強く迫りました。それでも大石は、内匠頭の弟・浅野大学を当主にして浅野家を立て直すことを先に考えると言って、この案を受け入れません。そのあいだに大野は夜のうちに赤穂から姿を消しました(4月12日とする説が一般的です)。大石は後始末を進め、城を見に来た幕府の目付、荒木十左衛門と榊原采女に浅野家の再興を願い出ます。そして4月19日、赤穂城は受城使の脇坂淡路守と木下肥後守に引き渡されました。戦いは一度も起きませんでした。
評定が開かれた日や回数は、史料によって違います。誰が何を言ったかという細かいやりとりは、後の時代の人が記録をつなぎ合わせて組み立て直したものです。
大石が「城の前で切腹しよう」と持ちかけ、賛成した者が神文(誓いの書きつけ)を出したという話もよく知られています。人数は約60人とされますが、これも史料によって違います。「本気の仲間を見分けるための作戦だった」という見方は、後の時代の解釈です。また、藩札(藩が出した紙のお金)を額面の6割で引き替えて領内の混乱をおさえたことも広く伝えられています。
記録を書いた人の立場にも注意が必要です。堀部の書いた筆記では、大石は慎重すぎて煮え切らない人物に見えます。逆に、大野についての記録はおもに大石側から書かれているため、悪く描かれやすいのです。
この出来事は、のちに人形浄瑠璃・歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』になりました。幕府をはばかって、話は「塩冶家」の物語に置き換えられています。四段目では、主君・判官の切腹のあとの評定で、家老の斧九太夫(大野がモデル)がお金の分配を言い出し、席を立ってしまいます。大星由良助(大石がモデル)は、残った者たちに仇討ちの本心を打ち明けます。
最後の「城明渡しの段」では、城を出た由良助が門の外から城を振り返り、判官が腹を切った形見の刀を手に、仇討ちを誓います。忠臣蔵でいちばん有名な場面の一つですが、これは芝居の創作で、史実ではありません。
漫画では、物語として読みやすくするために、いくつかの部分を【脚色】しています。評定での発言の順番や台詞、議論の流れは、複数の記録をもとに組み立て直したものです。大石が殉死を持ちかけた本当の気持ちも、漫画なりの解釈で描いています。
大野が去る夜の様子、藩札の引き替えに集まる領民や町の空気、堀部と大石の話し合いでの言葉や感情の動き、開城の日の天気や大石の表情・心の中は、史料には書かれていない創作です。また、城を出た大石が城を振り返る構図は、『仮名手本忠臣蔵』の名場面を演出として借りたもので、史実の出来事ではありません。
「戦うか、死ぬか」と家臣が割れるなか、一滴の血も流さずに城を明け渡した大石の決断は、文字で読むより絵で見るほうが、その重さが伝わってきます。『忠臣蔵 ―四十七士、雪の夜の誓い―』は全話無料、会員登録なしで読めます。第3話で大石の「今は剣を抜かない」という選択を見届けたら、四十七士のその後の物語もぜひ続けて読んでみてください。
元禄14年(1701)4月19日です。浅野内匠頭が切腹した3月14日から約1か月後、赤穂城は戦いのないまま幕府の受城使に引き渡されました。
籠城すれば幕府に逆らうことになり、浅野家の再興の望みがなくなるからです。大石は内匠頭の弟・浅野大学による家の再興を優先し、幕府の目付にも再興を願い出ました。
赤穂藩の家老で、開城に賛成しましたが、残り金の分け方で大石と対立し、開城の前に夜のうちに赤穂を去りました。記録の多くは大石側から書かれているため、悪く描かれやすい人物です。
四段目の最後で、城を出た大星由良助が門の外から城を振り返り、主君の形見の刀を手に仇討ちを誓う場面です。有名な場面ですが、芝居の創作で史実ではありません。
藩がなくなると、藩が出した紙のお金(藩札)は価値を失ってしまいます。大石たちは額面の6割で引き替えて、領内の混乱をおさえたと伝えられています。