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第7話怖くない。トイレまであと十数歩東海道中膝栗毛(浜松の幽霊)

「便所くらい一人で行く!」と幽霊話を笑い飛ばした弥次さんが、真夜中に一人で長い廊下へ踏み出す。あと十数歩の足を止めたのは、月夜の庭に揺れる白い影だった。

19ページ全話無料・会員登録なし

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この話のあらすじ

『東海道中膝栗毛』は、江戸に住む弥次郎兵衛と喜多八が、東海道を西へ歩いて旅をする物語です。幽霊騒ぎは三編に出てくる話で、舞台は遠江(とおとうみ)の浜松の宿。今の静岡県浜松市にあたる土地です。 宿に泊まった夜、二人は幽霊にまつわる話を聞かされます。気味が悪いと思いながらも、ひとまず床につきました。弥次さんは強がってみせますが、夜中に用を足したくなると、一人で厠(かわや=トイレ)へ行くのが怖くてたまりません。 そんなとき、庭先に白いものがふわりと見えます。幽霊だと思いこんだ弥次さんは肝をつぶし、喜多さんも一緒になって怯えて、騒ぎになります。

原典東海道中膝栗毛 ―弥次さん喜多さん珍道中― — 日本 · 享和2年〜文化11年(1802〜1814年)

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この話のもとになった物語

東海道中膝栗毛 浜松の幽霊騒ぎのあらすじ|弥次さん喜多さんと白い影の正体

ひとことで言うと: 浜松の幽霊騒ぎは、宿で幽霊の話を聞いた弥次さんと喜多さんが、夜の庭に見えた白いものを幽霊だと思いこんで大さわぎする、十返舎一九『東海道中膝栗毛』三編の物語です。白いものの正体は、物干しに干してあった白い着物でした。

原典のあらすじ:浜松の宿の幽霊騒ぎ

『東海道中膝栗毛』は、江戸に住む弥次郎兵衛と喜多八が、東海道を西へ歩いて旅をする物語です。幽霊騒ぎは三編に出てくる話で、舞台は遠江(とおとうみ)の浜松の宿。今の静岡県浜松市にあたる土地です。

宿に泊まった夜、二人は幽霊にまつわる話を聞かされます。気味が悪いと思いながらも、ひとまず床につきました。弥次さんは強がってみせますが、夜中に用を足したくなると、一人で厠(かわや=トイレ)へ行くのが怖くてたまりません。

そんなとき、庭先に白いものがふわりと見えます。幽霊だと思いこんだ弥次さんは肝をつぶし、喜多さんも一緒になって怯えて、騒ぎになります。ところが、その正体は物干しに掛けて干してあった白い着物でした。幽霊などいなかったのです。こうして怖がりの本性がばれてしまい、二人は面目を失います。

なお、幽霊の話をだれが語ったのか、騒ぎがどこまで広がったのか、正体がいつ分かったのか、着物の種類は何か、といった細かい点は、原典の本文と照らし合わせきれていないため、この記事では断定しません。

弥次さんと喜多さんはどんな二人?

弥次さんこと弥次郎兵衛は、神田八丁堀に住む中年の男です。軽口や洒落、狂歌(こっけいな短歌)が好きなお調子者で、見栄っ張り。失敗を重ねても懲りません。

喜多さんこと喜多八は、弥次さんより若い相棒で、居候のような間柄です。悪ふざけが好きで、弥次さんと張り合ったり、からかい合ったりします。仲がいいのに、どちらも相手より上に立ちたい。この関係が、旅のあちこちで笑いを生みます。

この話の面白さと時代の背景

『東海道中膝栗毛』は、十返舎一九(じっぺんしゃ・いっく)が享和2年(1802)から世に出した滑稽本です。滑稽本とは、笑いを楽しむための江戸時代の読み物のこと。「膝栗毛」は、栗毛の馬のかわりに自分の膝を使う、つまり歩いて旅をするという意味の言葉です。二人の旅は伊勢参りを目的にしていて、当時の人にとって身近な旅の楽しさと失敗談が、物語の土台になっています。

この話の笑いの中心は、強がりと臆病の落差です。怖くないと言いたい気持ちと、実は怖くてトイレにも行けない本音。その差が大きいほど、干してあった着物だと分かったときの間抜けさが際立ちます。

怖いと思っていると、なんでもないものまでお化けに見える。これは今の私たちにも覚えがあるのではないでしょうか。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ということわざも、ススキの穂を幽霊と見間違えるという、よく似た心の動きを言ったものです(膝栗毛の中の言葉ではありません)。200年以上前の話なのに笑えるのは、人の見栄と怖がりが今も変わらないからでしょう。

漫画版で変えたところ

原典をもとにしているのは、浜松の宿に泊まること、幽霊の話を聞くこと、夜中に厠へ行けなくなること、庭の白いものを幽霊と思いこむこと、喜多さんも一緒に怯えて騒ぎになること、正体が干した着物であること、という話の筋です。

一方、「便所くらい一人で行く!」といった弥次さんの強がりの台詞、喜多さんとの細かなかけ合い、幽霊話の語り口や怖さを盛り上げる間の取り方は、漫画で作ったものです。真夜中の長い廊下、「あと十数歩」という距離、月夜の庭、白い着物が風に揺れて人の形に見える様子も、絵で見せるための演出です。

また、宿の人たちの顔立ちや反応、騒ぎが広がっていく段取り、正体が翌朝に分かる構成、衣類を一目で分かる白い浴衣として描くことも、原典の本文で確かめられたものではないので、漫画の脚色として読んでください。

漫画で読むには

この話は、Manga Portal の『東海道中膝栗毛 ―弥次さん喜多さん珍道中―』第7話「怖くない。トイレまであと十数歩」で読めます。静まりかえった廊下を一人で進む弥次さんの背中や、足が止まる瞬間のこわさとおかしさは、絵で見るとまた違った味わいがあります。

全話無料で、会員登録もいりません。あらすじを知ったうえで読んでも、弥次さんの強がりがどこまでもつのか、つい見守りたくなるはずです。気が向いたら、ほかの宿場での珍道中ものぞいてみてください。

この話の登場人物

弥次郎兵衛(やじろべえ)
神田八丁堀に住むお調子者で見栄っ張りの中年の男で、この話では幽霊を怖がらないふりをしながら、夜の厠に行けなくなります。
喜多八(きたはち)
弥次郎兵衛の若い相棒で、悪ふざけが好きな男で、この話では騒ぎに巻き込まれて一緒に怯えます。
宿の人たち(やどのひとたち)
浜松の宿の主人や奉公人などで、原典での人数や名前は確かめられていないため、漫画では顔立ちや反応を創作して描いています。

よくある質問

東海道中膝栗毛の浜松の幽霊騒ぎとは、どんな話?

弥次さんと喜多さんが浜松の宿で幽霊の話を聞き、夜の庭に見えた白いものを幽霊だと思いこんで騒ぐ話です。正体が分かると、怖がりの本性がばれてしまいます。

弥次さんたちが見た幽霊の正体は?

物干しに掛けて干してあった白い着物です。本物の幽霊が出たわけではなく、怖いと思う気持ちが見間違いを生んだ笑い話です。

弥次さん喜多さんはどんな人?

弥次さんは江戸の神田八丁堀に住むお調子者で見栄っ張りの中年の男、喜多さんは居候のような間柄の若い相棒です。張り合ったりからかい合ったりしながら、伊勢参りの旅を続けます。

東海道中膝栗毛の作者はだれ?いつの作品?

作者は十返舎一九で、享和2年(1802)から刊行された江戸時代の滑稽本です。滑稽本とは、笑いを楽しむための読み物のことです。

「膝栗毛」とはどういう意味?

栗毛の馬に乗るかわりに自分の膝を使う、つまり歩いて旅をすることを表す言葉です。弥次さんと喜多さんの徒歩の旅にぴったりの題名です。

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