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第4話16人で城を奪い、なぜか返した竹中半兵衛

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次回予告第5話 金ヶ崎の殿

全員が逃げる中、一人だけ「俺が残る」と言った男

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十六人で城を奪い、なぜかその城を返して山に消えた男を、藤吉郎は口説きに通う。お世辞も贈り物も先に言い当てられ、手札をなくした三度目、彼が差し出したのは自分の弱さだった。

この話のあらすじ

『太閤記』は、江戸時代の初め、寛永年間に小瀬甫庵がまとめた豊臣秀吉の一代記です。第4話のもとになっているのは、秀吉がまだ木下藤吉郎と名のっていたころの、美濃攻めのくだりです。 尾張の織田信長は、隣の国である美濃を手に入れようと、斎藤氏への攻撃を続けていました。そのさなか、斎藤家の家臣だった竹中半兵衛が、わずかな手勢で主君・斎藤龍興の居城である稲葉山城を奪い、世の人を驚かせます。半兵衛はやがて藤吉郎の配下に加わり、知恵で支える存在になります。仕え始めた時期が城の陥落より前か後かは、語られ方に幅があります。 織田方の攻勢の末に稲葉山城は落ち、龍興は城を失いました。

原典太閤記 ―豊臣秀吉の生涯― — 日本 · 寛永2年(1625年)ごろ

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この話のもとになった物語

16人で城を奪った竹中半兵衛とは?稲葉山城と太閤記のあらすじ

ひとことで言うと: 『太閤記 ―豊臣秀吉の生涯―』第4話は、わずかな手勢で主君の稲葉山城を奪った知将・竹中半兵衛を、木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)が口説いて味方に迎えようとする、小瀬甫庵『太閤記』の美濃攻めをもとにした物語です。美濃はやがて織田信長のものになります。城を返して山に隠れた話は通説、三度通って口説く展開は後世の伝承をもとにした漫画の脚色です。

元の話のあらすじ:美濃攻めと稲葉山城

『太閤記』は、江戸時代の初め、寛永年間に小瀬甫庵がまとめた豊臣秀吉の一代記です。第4話のもとになっているのは、秀吉がまだ木下藤吉郎と名のっていたころの、美濃攻めのくだりです。

尾張の織田信長は、隣の国である美濃を手に入れようと、斎藤氏への攻撃を続けていました。そのさなか、斎藤家の家臣だった竹中半兵衛が、わずかな手勢で主君・斎藤龍興の居城である稲葉山城を奪い、世の人を驚かせます。半兵衛はやがて藤吉郎の配下に加わり、知恵で支える存在になります。仕え始めた時期が城の陥落より前か後かは、語られ方に幅があります。

織田方の攻勢の末に稲葉山城は落ち、龍興は城を失いました。1567年のこととするのが通説です。こうして美濃は織田のものとなり、藤吉郎も働きを重ねて、信長のもとで頭角を現していきます。

なぜ城を返した?通説として伝わること

城の乗っ取りは1564年のこととするのが通説で、手口は次のように語られています。手勢は十数人。城にいる弟の見舞いを装って中に入り、長持(衣類などをしまう大きな箱)に武具を隠して運び込みました。舅の安藤守就が兵を出して協力したとも伝わります。ただし、甫庵の本文でこの細部がどう書かれているかは確認できていないため、ここでは通説として紹介します。

半兵衛は奪った城を半年ほどで龍興に返し、その後は山の中に隠れ住んだとされます。城を返した理由ははっきりせず、主君をいさめるためだったという説もあります。答えが一つに決まらないからこそ、今も多くの人を引きつける謎です。

藤吉郎が何度も山へ通って半兵衛を口説いたという話は、後世の伝承です。『三国志』で劉備が諸葛亮を三度訪ねた「三顧の礼」によく似た形で、事実とは言いきれません。

美濃攻めで知られる、ほかの話

美濃攻めには、ほかにも有名な話があります。藤吉郎が洲俣(墨俣)に砦を築いて足場にした話は「墨俣一夜城」として知られますが、一晩で城を建てたという形は後世の誇張が濃いと見られています。

斎藤方の有力な家臣だった美濃三人衆(稲葉一鉄・氏家卜全・安藤守就)が織田方についた話は、太田牛一の『信長公記』など別の史料で知られています。藤吉郎の隊が堀尾吉晴の案内で裏道から山城へ登った話や、瓢箪が馬印の由来になった話も人気がありますが、後世の補足が濃い逸話です。落城ののち、信長は稲葉山の城下を岐阜と改め、本拠を移したとされます。

この話の背景:戦国の世と「知恵」の力

戦国時代は、力の強い者が国を奪い合った時代でした。そんな世で、ほんの十数人で大きな城を取った話が語り継がれてきたのは、兵の数より知恵がものを言う場面に人々が胸を躍らせたからでしょう。城を取ったのに自分のものにしなかったとされる点も、欲で動く武将とは違う人物像を印象づけます。

なお、甫庵の『太閤記』は、江戸時代に広く読まれた読み物でもあり、物語としての脚色も多いとされます。史実そのものとして読むより、低い身分から出世した秀吉の人生を、後の時代の人がどう語ったのかを知る手がかりとして読むと面白い作品です。

漫画版で変えたところ

漫画の中心である、藤吉郎が山へ通って半兵衛を口説く展開は脚色です。お世辞も贈り物も先に言い当てられ、三度目に藤吉郎が自分の弱さを差し出す流れは、漫画で作った場面です。半兵衛が城を奪った動機や手放したときの心情、隠れ住む暮らしの様子、二人の初対面と会話、信長ではなく秀吉を選ぶ理由も創作です。

半兵衛の外見や話し方も、小説やドラマ、ゲームでよく見る「病弱で美形の天才軍師」をなぞらず、独自に考えました。稲葉山城をめぐる場面の組み立てや、足軽・城兵の視点も創作ですが、城が落ちるという結果は変えていません。

漫画で読むには

十六人で城を奪った男は、なぜそれを手放したのか。何を言っても先回りされる相手に、藤吉郎は最後に何を差し出すのか。二人のやりとりは、ぜひ本編の絵とせりふで味わってみてください。『太閤記 ―豊臣秀吉の生涯―』は Manga Portal で全話無料、会員登録なしで読めます。

この話の登場人物

木下藤吉郎(きのした とうきちろう)
のちの豊臣秀吉で、本作の主人公。信長の家臣として美濃攻めで働き、半兵衛を配下に迎えます。
竹中半兵衛(たけなか はんべえ)
名は重治。もとは斎藤家の家臣で、わずかな手勢で主君の城を奪ったと伝わる知将です。
織田信長(おだ のぶなが)
尾張の大名で藤吉郎の主君。斎藤氏を攻めて美濃を手に入れます。
斎藤龍興(さいとう たつおき)
美濃の国主で半兵衛の主君。半兵衛に居城を奪われ、のちに織田方の攻勢で城と美濃を失います。

よくある質問

竹中半兵衛は何をした人?

戦国時代の武将で、斎藤家の家臣だったころ、わずかな手勢で主君の稲葉山城を奪ったことで知られます。のちに羽柴(豊臣)秀吉の配下に入り、知恵で支えました。黒田官兵衛と並べて「二兵衛」と呼ばれることもあります。

竹中半兵衛はなぜ稲葉山城を返したの?

はっきりした理由はわかっていません。主君の斎藤龍興をいさめるためだったという説もあります。漫画では、この心情を創作として描いています。

本当に16人で城を奪ったの?

手勢は十数人だったというのが通説で、漫画ではこれを十六人として描いています。弟の見舞いを装って武具を運び込んだという手口も広く語られていますが、細部がどこまで事実かは確かめにくいところです。舅の安藤守就が兵を出して協力したとも伝わります。

秀吉が半兵衛を口説いた「三顧の礼」は史実?

藤吉郎が山へ何度も通って口説いたという話は後世の伝承で、事実とは言いきれません。『三国志』の劉備と諸葛亮の話によく似た形をしています。漫画ではこの伝承をもとに、脚色して描いています。

稲葉山城はいつ落ちて、その後どうなった?

1567年に織田方の攻勢で落ちたとするのが通説です。斎藤龍興は城を失い、美濃は信長のものになりました。信長は城下の名を岐阜と改め、ここに本拠を移したとされます。

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