萱野三平(萱野重実)とは
討ち入り前に散った「48人目」
萱野三平重実(かやの さんぺい しげざね)
萱野三平(かやの さんぺい)とは、浅野家の若い家臣で、主君の刃傷事件を赤穂へ知らせた最初の急使の一人です。仇討ちの誓いに加わりながら、討ち入りの前に自ら命を絶ちました。
事件の日、早水藤左衛門と組んで早駕籠に乗り、江戸から赤穂まで約620kmを4日半ほどで走り抜けました。その後、大石たちとの誓いに加わりますが、父の七郎左衛門は、縁のある旗本の家に仕えることを勧め、仇討ちへの参加に反対します。仲間との誓いと父への孝行の間で苦しんだ三平は、元禄15年1月14日、主君の月命日に摂津の萱野村で自害しました。
辞世の句「晴れゆくや日頃心の花曇り」が伝わっています。芝居『仮名手本忠臣蔵』の「早野勘平」は三平がもとになったといわれますが、勘平の恋や誤解からの切腹といった筋は創作です。
登場する話3
第2話
体を縛りつけて、4日半走り続けた浅野内匠頭の切腹と早駕籠
シリーズ第2話。刃傷のその日のうちに切腹を命じられた浅野内匠頭は、静かに最期を迎える。一方、早水と萱野は体を駕籠に縛りつけ、約620kmを4日半で赤穂へ走る。すべての知らせを受け取った大石内蔵助がつぶやいたのは、ただひと言だった。
19ページ第6話
そこにいるはずだった、48人目萱野三平
主君の死を知らせた急使のひとり、サンペイは故郷の村に戻り、仲間との誓いと、恩人の家への仕官を決めた父への孝行のあいだで追いつめられる。家を抜け出そうとして果たせなかった若者が、主君の月命日の朝に一句を残すまでと、その後に芝居の中で語り継がれていくまでを描く。
19ページ第7話
受け取れば、生きられる円山会議と神文返し
殿の家を立て直す最後の望みが消え、大石は京・円山で討ち入りを決める。誓いの紙「神文」が同志に返され、受け取って去る者と突き返して残る者に分かれていく。荷を背負って使者に付き従った足軽・寺坂にも、最後の一枚が差し出される。
19ページ