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第4話一度も斬らずに、大軍が崩れた風魔の夜討ち(黄瀬川の陣)

雨の夜ごとに川を渡り、馬を放ち、火をかけ、ときの声をあげる風魔の忍びたち。刀を一度も抜かずに武田の大軍を崩した夜、恐怖に追い詰められた若い兵は兄貴分に刃を向けてしまい、そして素手で味方同士の斬り合いの前に立つ。

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次回予告第5話 立ちすぐり居すぐり

「スパイを一瞬で見抜く方法。答えは“座れ”の一言だった」

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この話のあらすじ

舞台は戦国時代の終わりごろ、天正年間です。北条氏直と武田勝頼が、駿河と伊豆の境を流れる黄瀬川(きせがわ)を挟んで陣を構え、にらみ合いました。天正9年(1581年)ごろの話として知られますが、この対陣は天正8年から9年ごろにわたるため、年の示し方には少し幅があります。 北条家には「乱波(らっぱ)」と呼ばれる、盗みや忍びを得意とする者たちがいて、その頭が風魔(風間とも書きます)でした。配下は組に分かれ、雨の夜や闇の夜になると川を渡り、武田の陣に入り込みます。人を生け捕りにし、つないである馬の綱を切り、放れた馬に乗って陣の中を駆け回る。

原典忍者列伝 ―風魔・伊賀・甲賀の影― — 日本 · 北条五代記(1641年)・万川集海(1676年)・立川文庫『猿飛佐助』(1914年)

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この話のもとになった物語

風魔の夜討ちとは?黄瀬川の陣のあらすじ【北条五代記】

ひとことで言うと: 風魔の夜討ちは、北条家に抱えられた乱波の頭・風魔とその配下が、雨や闇の夜ごとに黄瀬川を渡って武田の陣に忍び込み、馬を放ち、火をかけ、鬨の声を上げて武田勢を同士討ちに追い込む、『北条五代記』の物語です。

元の話のあらすじ(『北条五代記』より)

舞台は戦国時代の終わりごろ、天正年間です。北条氏直と武田勝頼が、駿河と伊豆の境を流れる黄瀬川(きせがわ)を挟んで陣を構え、にらみ合いました。天正9年(1581年)ごろの話として知られますが、この対陣は天正8年から9年ごろにわたるため、年の示し方には少し幅があります。

北条家には「乱波(らっぱ)」と呼ばれる、盗みや忍びを得意とする者たちがいて、その頭が風魔(風間とも書きます)でした。配下は組に分かれ、雨の夜や闇の夜になると川を渡り、武田の陣に入り込みます。人を生け捕りにし、つないである馬の綱を切り、放れた馬に乗って陣の中を駆け回る。さらにあちこちに火を放ち、鬨の声(大勢で一斉にあげる叫び声)を上げました。

不意を突かれた武田勢には、敵がどこにいるのか分かりません。暗闇と混乱の中で、味方同士で討ち合ってしまいます。夜が明けてみると、武田方の死傷は同士討ちによるものだった、というのが話の大筋です。

なお、配下はおよそ二百人で四つの組に分かれていたという話や、帰っていく乱波の列に紛れ込んだ武田方の者を、合図で一斉に立たせたり座らせたりして見破る「立ちすぐり居すぐり」の話も、風魔についてよく紹介されます。ただし、これらの細かな点は今回の調査では原典で確かめきれていないため、「そう伝えられることがある話」として受け取ってください。

風魔とはどんな姿で描かれたのか

『北条五代記』の風魔は、とても人間離れした姿で書かれています。背が非常に高く、筋骨はたくましく荒々しい。目は逆さに裂け、口は大きく裂けて牙がのぞき、声は遠くまで届く、というのです。

有名な「風魔小太郎」という名前は、後の時代に広まった呼び名です。「小太郎」という名は原典では確認できていません。黒ずくめの忍者のような姿も、この記述からは読み取れません。原典の風魔は、むしろ鬼を思わせるような、敵に恐れられた存在として描かれています。

この話が伝えていること(時代の背景)

この話のおもしろさは、少ない人数で大軍を混乱させたところにあります。大軍は数が多いぶん、夜の闇で指示が届かなくなると、かえって動きがとれません。馬が暴れ、火が上がり、四方から声が聞こえれば、兵たちは近くにいる人影さえ敵に見えてきます。風魔たちがねらったのは、相手の体だけでなく心だったと読むこともできるでしょう。

当時の北条家と武田家は、関東と東海の境をめぐって争っていました。武田家はこの対陣の翌年にあたる天正10年(1582年)に滅びます。この話は、そうした戦国の終わりごろの緊張の中に置かれています。

ただし、『北条五代記』は三浦浄心が慶長年間に著し、寛永年間に刊行された書物で、合戦のあとに書かれたものです。作者は乱波の智略や風魔の異様な姿を印象深く書き添えています。読み物としての色合いもあるため、すべてをそのまま史実と考えるのではなく、「こう語り伝えられた」と受け止めるのがよいでしょう。

漫画版で変えたところ・足したところ

原典にあるのは、川を渡る夜討ち、生け捕り、馬の綱切り、放れ馬での攪乱、放火、鬨の声、そして武田勢の同士討ちという大筋です。風魔の姿も原典に合わせています。

一方、漫画の中心にいる武田方の若い兵は創作です。名前や生い立ち、恐怖に追い詰められて兄貴分に刃を向けてしまうこと、素手で味方同士の斬り合いの前に立つ場面は、原典にはありません。原典の武田勢には、個人の名前も出てきません。

ほかにも、乱波一人ひとりの顔や性格、会話、組ごとの役割や合図、風魔の台詞、氏直と勝頼の陣中でのやりとり、雨や川の水かさの描写、夜明けの陣の具体的な様子は、漫画で足した部分です。「刀を一度も抜かずに大軍を崩す」という描き方も漫画の見せ方で、原典では生け捕りをしたことも書かれています。

漫画で読むには

原典は短い記述ですが、闇の中で何が起きていたのかを想像すると、ぐっと怖さが増します。第4話「一度も斬らずに、大軍が崩れた ―風魔の夜討ち(黄瀬川の陣)―」では、それを襲われる側の若い兵の目線で味わえます。『忍者列伝 ―風魔・伊賀・甲賀の影―』は全話無料で、会員登録もいりません。あらすじを知ったうえで読むと、原典の骨組みと漫画の創作の違いも楽しめるはずです。

この話の登場人物

風魔(ふうま)
北条家に抱えられた乱波の頭で、「風間」とも書かれ、背が高く目と口が裂けた異様な姿で描かれます。
北条氏直(ほうじょう うじなお)
北条方の総大将で、原典では乱波を抱える北条家の当主として登場し、人柄はほとんど書かれていません。
武田勝頼(たけだ かつより)
黄瀬川の対岸に陣を構えた武田方の総大将で、夜討ちを受ける側として登場します。
乱波たち(らっぱたち)
風魔の配下で、夜ごと川を渡って馬を放ち火をかける実行役ですが、原典に一人ひとりの名前は出てきません。
武田勢(たけだぜい)
闇と混乱の中で敵の居場所が分からなくなり、味方同士で討ち合ってしまう軍勢です。
武田方の若い兵(漫画の創作)
恐怖の夜を内側から見せるために漫画で作られた人物で、原典には登場しません。

よくある質問

風魔の夜討ちとは何ですか?

黄瀬川で北条と武田がにらみ合っていたとき、風魔の配下が雨や闇の夜に武田の陣へ忍び込んだ話です。馬を放ち、火をかけ、鬨の声を上げて混乱させ、武田勢を同士討ちに追い込みました。『北条五代記』に書かれています。

風魔小太郎は実在したのですか?

『北条五代記』には、風魔(風間)という乱波の頭が書かれています。ただし「小太郎」という名は後世の通称で、この原典では確認できていません。人物像のどこまでが史実なのかも、はっきりしていません。

乱波とは何ですか?忍者と同じですか?

乱波は、『北条五代記』で盗みや忍びをする者として描かれる人たちです。今でいう忍者に近い存在ですが、「忍者」という言葉は後の時代に広く使われるようになった呼び方です。

黄瀬川の対陣はいつ、どこでありましたか?

天正年間、天正8年から9年(1580〜1581年)ごろのことで、原典の話は天正9年ごろとして知られます。場所は駿河と伊豆の境を流れる黄瀬川で、北条氏直と武田勝頼が川を挟んで向かい合いました。

漫画の若い兵は原典に出てきますか?

出てきません。原典の武田勢に個人の名前はなく、若い兵とその兄貴分の物語は漫画の創作です。夜討ちと同士討ちという大筋は原典に沿っています。

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