戦国武将 あらすじ
「戦国 侍列伝 ―天下を賭けた男たち―」は、戦国時代の名場面を、その時代の記録をもとに一話ずつ漫画にしたシリーズです。織田信長の家臣・太田牛一が書いた『信長公記』や、武田家の戦いや言い伝えをまとめた『甲陽軍鑑』などを土台にしています。
第1話は、「大うつけ」とうわさされた若き織田信長と、「美濃のマムシ」と呼ばれた舅の斎藤道三が、正徳寺で初めて会う話です。道三は信長の行列をこっそりのぞき、風変わりな格好と強い軍勢に驚きます。ところが会見の席には、正装に着替えた信長が現れました。第2話は1560年の桶狭間の戦いです。今川義元の大軍が迫る前の夜、信長は作戦も語らずに眠ります。明け方にわずかな供を連れて城を飛び出し、急な雨のあと義元の本陣を襲って討ち取りました。
第3話と第4話は、1561年の第四次川中島の戦いです。武田信玄の軍師・山本勘助は、軍を二手に分けて上杉勢をはさみ撃ちにする「きつつき戦法」を考えます。しかし上杉謙信はその動きを見抜き、夜のうちに山を下りました。霧が晴れた八幡原で、武田の本隊は上杉の全軍と向き合います。信玄の弟・信繁や勘助が討ち死にする激しい戦いの中、名乗らない騎馬武者が信玄の本陣に斬りかかりました。漫画で創作したところは、各話の解説で原典と比べて紹介しています。
あらすじ一覧
第1話マムシが笑えなくなった日 ―信長と道三の会見(正徳寺の会見)―
漫画のあらすじ「大うつけ」と笑われる若き信長を、娘の婿として迎えた老将・道三(マムシ)が自分の目で確かめに行く。小屋からのぞいた行列と、寺の屏風の陰からの早変わりが、老人の笑いを凍らせる。
原典では正徳寺の会見は、戦国時代に美濃(今の岐阜県南部)を治めていた斎藤道三と、尾張(今の愛知県西部)の若い当主・織田信長が初めて顔を合わせた出来事です。信長は道三の娘を妻にしていたので、二人は舅と婿の関係でした。この縁組は、信長の家老・平手政秀が知恵をしぼってまとめたものだと『信長公記』の別の条に書かれています。
第2話四万五千が迫る夜、信長は寝た ―桶狭間の戦い―
漫画のあらすじ四万五千の大軍が迫る夜、籠城を説く家老たちの前で世間話をして眠った27歳の信長は、夜明けに「人間五十年」を舞って城を飛び出す。止める家老や討たれる味方を見ながら前へ進み、嵐がやんだ一瞬に「かかれ」と叫ぶ。
原典では駿河・遠江・三河を治める今川義元が大軍を率いて尾張に入り、沓掛に着きました。『信長公記』はその数を四万五千と書いています。砦を守る佐久間大学と織田玄蕃から、清洲城の信長に知らせが届きます。今川方は大高城に兵粮を運び込み、翌朝、潮の満ち引きを見はからって砦を攻めるつもりらしい、という内容でした。
第3話完璧な策は、夕飯の煙でバレた ―川中島の戦い(キツツキ戦法)―
漫画のあらすじ動かない敵を「キツツキの戦法」で追い落とそうとした軍師カンスケ。だが敵の大将は、城から上がる夕飯の煙ひとつで策を見抜いていた。霧が晴れたとき、目の前には敵の全軍がいた。
原典では山本勘介は三河の牛窪の生まれで、若いころから諸国を回り、兵法や城づくりを学んだ人です。駿河の今川家に長くいましたが、色が黒く、片目で、足も不自由という見た目のせいで召し抱えてもらえなかったと書かれています。そんな勘介を、武田家の重臣・板垣信方が武田晴信(のちの信玄)に推薦しました。信玄は見た目にこだわらず勘介を迎え、約束よりも多い領地(知行)を与えたといいます。こうして勘介は、戦のやり方や城づくりの相談役として重く用いられていきます。
第4話名乗らない男が、信玄に斬りかかった ―川中島の戦い(信玄と謙信の一騎討ち)―
漫画のあらすじ1561年秋の川中島。霧が晴れると、目の前に上杉の全軍がいた。弟と軍師を失う知らせが続いても床几から動かない信玄の本陣に、名乗らない一騎の武者が飛び込んでくる。
原典では永禄4年(1561年)の秋、上杉の軍勢は信濃の妻女山に陣を取り、武田方は近くの海津城に入ってにらみ合いました。武田方では山本勘助らの考えた作戦が採られます。高坂弾正たちの別働隊が夜のうちに妻女山へ向かい、山から追い落とされてきた上杉勢を、八幡原で待つ信玄の本隊とはさみ撃ちにするという手はずでした。この作戦は、のちに「啄木鳥(きつつき)の戦法」と呼ばれるようになりますが、この呼び名は後の時代に広まったものとされています。兵の数は、別働隊…
第5話夜明けまで、ひとりで城を守れ ―金ヶ崎の退き口(金ヶ崎の戦い)―
漫画のあらすじ城を二つ落として浮かれる陣に、身内が寝返ったという知らせが届き、軍は一瞬で前後をふさがれる。主君ノブナガが山道から逃げると決めたとき、空っぽの城に残されたのは、名前を覚えてもらいたかった小柄な男トウキチロウだった。
原典では元亀元年(1570年)4月20日、織田信長は京都を出発しました。坂本を通り、若狭の熊川や佐柿を経て、25日に越前(いまの福井県)の敦賀に入ります。