この話のもとになった神話
桶狭間の戦いとは?あらすじを解説|信長と今川義元・信長公記
ひとことで言うと: 桶狭間の戦いは、大軍で尾張に攻め入った今川義元を、27歳の織田信長が少ない兵で討ち取った戦いです。前の夜は作戦を語らずに眠り、明け方に敦盛を舞って飛び出した信長が、急な雨がやんだ瞬間に総攻撃をかけ、義元を討ち取ります。いちばん詳しい記録は、信長の家臣・太田牛一が書いた『信長公記』首巻の「今川義元討死の事」です。
あらすじ前半:戦の話をしない夜と、夜明けの出陣
駿河・遠江・三河を治める今川義元が大軍を率いて尾張に入り、沓掛に着きました。『信長公記』はその数を四万五千と書いています。砦を守る佐久間大学と織田玄蕃から、清洲城の信長に知らせが届きます。今川方は大高城に兵粮を運び込み、翌朝、潮の満ち引きを見はからって砦を攻めるつもりらしい、という内容でした。
ところがその夜、信長は作戦の話をまったくせず、世間話だけをして、夜が更けると家臣を帰してしまいます。家老たちは、運が尽きるときは知恵もにぶるものだと陰で笑いました。
明け方、鷲津・丸根の砦が攻められているという知らせが次々に届きます。すると信長は「人間五十年」で始まる幸若舞の敦盛を舞い、ほら貝を吹かせて鎧を着け、立ったまま食事をとって出陣しました。ついて来られたのは小姓5人だけ。主従6騎で熱田まで一気に駆け、そこから東を見ると、二つの砦はすでに落ちたらしく煙が上がっていました。
あらすじ後半:止める家老、急な雨、「かかれ」の号令
信長は丹下の砦、さらに善照寺の砦へ進んで兵を集めます。これを見た佐々隼人正と千秋四郎が約300人で先に今川勢へ打ちかかりますが、二人をふくむ50騎ほどが討たれました。一方、義元は桶狭間山で兵を休ませ、砦を落とした勝利に満足して謡をうたわせていました。佐々らを退けると、自分の矛先には天魔も鬼神もかなわないと喜んだといいます。
信長がさらに中島の砦へ進もうとすると、家老たちが馬の轡にしがみついて止めます。道の両側は深い田で、一騎ずつしか通れず、兵の少なさが敵から丸見えになるからです。信長は振り切って進みました。兵は2千にも足りませんでした。そこで信長は、敵は夜通し動いて戦い続けた疲れた兵で、こちらは元気な新手だ、運は天にある、首は取らずに捨て置け、勝てば末代までの誉れだ、と兵を励まします。
山のふもとまで迫ったとき、石や氷を投げつけるような激しい雨が敵の顔に吹きつけ、大きな楠が倒れました。空が晴れた瞬間、信長は槍を取って「かかれ」と叫びます。今川勢は総くずれになり、義元の塗輿も捨てられました。義元を囲む300騎ほどの旗本は戦いながら減っていき、50騎ほどに。服部小平太が義元に打ちかかって膝を切られ、続いて毛利新介が義元を討ち取りました。
よく知られた話と、原典に書かれていること
桶狭間の話には、後の時代に付け加わった部分もあります。たとえば「清洲城の評定で籠城論が多かった」という話は有名ですが、『信長公記』は信長が世間話をしたとしか書いておらず、評定の中身は記されていません。出陣前に食べたのが「湯漬け」だったという細部も、原典では「食事」とあるだけです。
熱田神宮で戦勝を祈った、願文を納めた、という話も原典には出てきません(雨のあとに人々が「熱田の神の軍勢か」と言い合った、という記述はあります)。また、四万五千という今川軍の数は原典の書き方で、実際の数は諸説あります。奇襲だったのか正面からの攻撃だったのかも、研究者の間で意見が分かれています。
この戦いが伝えていること(時代の背景)
一般に1560年(永禄3年)とされるこの戦いは、各地の大名が領地を争った戦国時代のまっただ中に起きました。大国の主だった義元が討たれたことで今川家は勢いを失い、今川方の先陣として大高城にいた若き松平元康、のちの徳川家康も、やがて独り立ちしていきます。そして小さな尾張の領主だった信長は、天下へ向かって歩き始めます。
『信長公記』からは、信長がただ運に頼ったのではなく、敵の疲れを読み、兵の心をまとめ、天気が変わる一瞬を逃さなかった姿が見えてきます。一方で、勝ちを確信して油断した義元の姿も描かれています。
漫画版で変えたところ
漫画は『信長公記』の流れに沿っていますが、絵と会話で見せるために創作した部分があります。清洲の夜の具体的な会話や、籠城を説く家老たちの場面は漫画の脚色です。信長と小姓・家老たちの道中のやりとり、義元の心の声、雨の前後の空や風、楠が倒れる瞬間の演出、兵の顔や鎧・旗のデザインも漫画オリジナルです。信長の心の独白は原典にないため、控えめにしています。
いっぽう中島での信長の言葉の中身は、原典どおりに描いています。また、義元の首を取る場面はあえて描かず、倒れた輿と雨上がりの空で決着を表しました。
漫画で読むには
『戦国 侍列伝 ―天下を賭けた男たち―』第2話「四万五千が迫る夜、信長は寝た ―桶狭間の戦い―」では、眠る信長、敦盛の舞、嵐の中の号令までを一気に読めます。Manga Portal の作品は全話無料で、会員登録もいりません。あらすじで流れをつかんだら、ぜひ漫画で、あの日の緊張感を味わってみてください。
この話の登場人物
- 織田信長(おだ のぶなが)
- 尾張の27歳の領主で、前夜は作戦を語らずに眠り、明け方にわずか6騎で出陣して義元を討つ主人公。
- 今川義元(いまがわ よしもと)
- 駿河・遠江・三河を治める大名で、大軍で尾張に入り、勝利を確信して謡を楽しむうちに討たれる敵の総大将。
- 家老衆(かろうしゅう)
- 織田家の重臣たちで、前夜の信長を笑い、中島へ進もうとする信長の馬を二度止める慎重派(原典に名前は書かれていない)。
- 佐々隼人正・千秋四郎(さっさ はやとのしょう・せんしゅう しろう)
- 信長が善照寺に着いたのを見て先に今川勢へ打ちかかり、討死した織田方の武将。
- 松平元康(まつだいら もとやす)
- のちの徳川家康で、今川方の先陣として大高城に兵粮を入れ、砦を攻めたあと大高で休んでいた。
- 毛利新介・服部小平太(もうり しんすけ・はっとり こへいた)
- 義元に打ちかかった織田方の武士で、小平太は膝を切られて倒れ、新介が義元を討ち取った。
よくある質問
桶狭間の戦いとはどんな戦い?
一般に1560年とされる、織田信長が今川義元を討ち取った戦いです。大軍の今川方に対し、信長は2千にも満たない兵で攻めかかり、総大将の義元を討ちました。これをきっかけに信長は勢いをつけていきます。
桶狭間の戦いで信長はなぜ勝てたの?
『信長公記』によると、信長は敵が夜通し動いて疲れていることを見抜いて兵を励まし、急な雨がやんだ瞬間に総攻撃をかけました。勝ちを確信して陣でくつろいでいた義元の油断も大きかったと読めます。奇襲だったのか正面攻撃だったのかは、諸説あります。
「人間五十年」とは何?
幸若舞「敦盛」の一節で、人の一生は天上の世界とくらべれば夢やまぼろしのように短い、という意味です。『信長公記』には、信長が桶狭間への出陣前にこれを舞ったと書かれています。
今川義元を討ち取ったのは誰?
『信長公記』では、まず服部小平太が義元に打ちかかって膝を切られ、続いて毛利新介が義元を切り伏せて首を取ったと書かれています。
桶狭間の戦いのとき徳川家康は何をしていた?
当時は松平元康と名乗り、今川方の先陣でした。大高城へ兵粮を入れ、鷲津・丸根の砦を攻めたあと大高で休んでいたため、義元が討たれた本戦には加わっていません。
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