原典について
戦国 侍列伝
- 地域
- 日本
- 成立
- 史料の成立は江戸時代まで(信長公記は慶長年間〔1600年代初め〕、甲陽軍鑑は江戸初期、関原軍記大成は18世紀初め、本朝武芸小伝は1714〜16年)。根拠にする刊本の刊行は1880〜1916年
- 作者・編者
- 太田牛一(信長公記)・小幡景憲ほか(甲陽軍鑑)・宮川忍斎(関原軍記大成)・日夏繁高(本朝武芸小伝)ほか、江戸時代までの記録者・編者
- 原語
- 近世の漢字かな交じり文・漢文訓読体
1553年、うつけと呼ばれた織田信長は、斎藤道三との会見に長槍の行列を従えて現れ、「蝮」を驚かせる。1560年、今川義元の大軍を桶狭間で破る。翌1561年、川中島では山本勘助の「啄木鳥」の策が裏目に出て、上杉謙信の騎馬が武田信玄の本陣に飛び込む。1570年、朝倉攻めの途中で浅井長政の裏切りを知った信長は、金ヶ崎で木下藤吉郎に殿を任せて逃げ、姉川で浅井・朝倉に報いる。1575年、長篠では馬防ぎの柵と鉄砲衆が武田の騎馬を迎え、城に籠もる鳥居強右衛門は命をかけて援軍を呼ぶ。1582年、本能寺で明智光秀の軍が夜明けに信長を襲う。1600年、真田昌幸は上田城で徳川秀忠の大軍を足止めし、関ヶ原では小早川秀秋が松尾山を下りて戦いの流れを決める。1612年、宮本武蔵は船島で巌流と向き合い、1615年、大坂夏の陣では真田幸村が徳川家康の本陣に迫る。戦国の十二の決断を、史料に基づく史実と、「史実をもとにしたフィクション」の演出で描く。
この漫画は AI(台本・作画)で自動生成しています。登場人物・出来事は原典に基づく部分と創作部分があります。