日本語言語を選ぶ

第2話上司の草履を温めた。ゴマすりか?草履取りの藤吉郎

主人の草履を懐で温めた最下層の使用人・藤吉郎が、誰がやっても終わらない城の塀の修理を大口で引き受ける。口を閉じて職人の話を聞き、手柄を人に渡したとき、動かなかった人々が動き出す。ただのゴマすりか、それとも――。

19ページ全話無料・会員登録なし

ほかの言語で読む:English简体中文繁體中文한국어EspañolFrançais

1 / 19
2 / 19
3 / 19
4 / 19
5 / 19
6 / 19
7 / 19
8 / 19
9 / 19
10 / 19
11 / 19
12 / 19
13 / 19
14 / 19
15 / 19
16 / 19
17 / 19
18 / 19
19 / 19

最後まで読んでくれてありがとう!

次回予告第3話 墨俣の一夜城

敵が朝起きたら、目の前に城が建っていた

この作品はここまで。次はこちらもどうぞ

続きが出たらすぐ読めるよう、この作品のページをブックマークしておいてください: 太閤記この作品の RSS

新しい話の公開を SNS でお知らせしています。フォローしてください:ThreadsBluesky(英語)

この話のあらすじ

『太閤記』は豊臣秀吉の一生をたどる伝記で、江戸時代の初めに小瀬甫庵がまとめ、寛永年間に世に出たとされます。その語りによると、藤吉郎は尾張国愛智郡中村(いまの名古屋市のあたり)の低い身分の家に生まれ、父は筑阿弥という人物とされます。母は太陽が懐に入る夢を見て身ごもったと語られ、のちの天下人の特別さが、生まれる前から予告される形になっています。 藤吉郎は若くして故郷を離れ、遠江(いまの静岡県西部)で松下嘉兵衛に仕えます。やがてそこを去りますが、その理由は本によって語られ方が違います。尾張へ戻った藤吉郎は織田信長に仕え、低い立場から奉公を始めました。

原典太閤記 ―豊臣秀吉の生涯― — 日本 · 寛永2年(1625年)ごろ

RSS

この話のもとになった物語

豊臣秀吉の草履取りは本当?太閤記のあらすじと清須城の塀修理

ひとことで言うと: 「草履取りの藤吉郎」は、のちの豊臣秀吉が低い身分で織田信長に仕え、長引く清須城の塀の修理を手早く終わらせるなどの働きで取り立てられていく話で、小瀬甫庵『太閤記』の語る若いころの奉公をもとにしています。有名な「草履を懐で温めた」場面は、原典にない後世の逸話と考えられています。

元の物語のあらすじ ―中村の生まれから信長への奉公まで

『太閤記』は豊臣秀吉の一生をたどる伝記で、江戸時代の初めに小瀬甫庵がまとめ、寛永年間に世に出たとされます。その語りによると、藤吉郎は尾張国愛智郡中村(いまの名古屋市のあたり)の低い身分の家に生まれ、父は筑阿弥という人物とされます。母は太陽が懐に入る夢を見て身ごもったと語られ、のちの天下人の特別さが、生まれる前から予告される形になっています。

藤吉郎は若くして故郷を離れ、遠江(いまの静岡県西部)で松下嘉兵衛に仕えます。やがてそこを去りますが、その理由は本によって語られ方が違います。尾張へ戻った藤吉郎は織田信長に仕え、低い立場から奉公を始めました。仕え始めた年や最初の役目については、細かい点を資料で確かめる必要があります。

清須城の塀の修理はどんな話か

藤吉郎の出世の話として特に知られるのが、清須城の塀の修理です。工事がなかなか終わらないなかで藤吉郎が引き受け、手際よく短い期間で仕上げて信長に取り立てられた、と伝わっています。薪や炭のような日々の物資で無駄を省き、認められたという話も、同じころの働きとして語られます。

工事の進め方としてよく紹介されるのが「割普請」です。普請とは塀や建物をつくる工事のことで、割普請は工事の場所を分けて組ごとに受け持たせ、競わせるやり方を指します。ただし、この手法や完成までの日数、はじめの担当者、ほうびの内容が原典にどう書かれているかは、まだ確認が必要です。そのためこの記事では数字を出さず、「現場の工夫で認められた」という大筋だけを押さえます。

草履を懐で温めた話は本当?

寒い朝、主君の草履を懐で温めて差し出す。秀吉と聞いて多くの人が思い浮かべる場面ですが、これは原典にはない後世の逸話と考えられており、実際にあった出来事だと確かめられる話ではありません。

『太閤記』そのものも、秀吉の死後に書かれた読み物の性格が強い伝記で、史実そのままとは言えません。太陽の夢の話も含めて、「この英雄はこう語られてきた」という記録として読むと、受け取り方を間違えにくくなります。妻のねねとの結婚も、通説ではこのころとされ、浅野又右衛門(長勝)の養女で杉原家の出と言われますが、原典での扱いは未確認です。名前も「ねね」「おね」など諸説があります。

この物語が伝えていること(時代の背景)

藤吉郎が生きたのは、各地の武将が争った戦国時代です。この物語の芯にあるのは、生まれの低い者が、目の前の仕事を工夫することで主君に認められていく姿です。身分がはっきり分かれていた時代の話だからこそ、その出世は強く人を引きつけてきました。

『太閤記』が書かれたのは、戦乱が収まった江戸時代の初めで、豊臣家はすでに滅びていました。つまり、終わった時代の英雄を後から振り返って語った本です。草履の逸話が今も愛されるのは、上の人に取り入るゴマすりにも、相手の身になって考える気配りにも読めるからかもしれません。

漫画版で変えたところ

第2話の冒頭にある草履の場面は、漫画の脚色です。寒さの表現や信長の反応、せりふは創作で、そのことは巻末の注にも書いています。藤吉郎が塀の修理を大口で引き受け、口を閉じて職人の話を聞き、手柄を人に渡すという流れも、原典で確かめられた話ではなく、漫画の見せ場として読んでください。

ほかにも、現場で働く人足や職人の顔ぶれと掛け合い、藤吉郎と信長の会話のテンポ、工事の進み具合を伝える図解や時間の表示、季節や城下の背景は、漫画としての表現です。薪の工夫やねねとの場面も、原典で確かめられない部分は創作として扱っています。

漫画で読むには

文章で読むと短い出世話も、漫画では、動かなかった人々が少しずつ動き出していく現場の空気まで味わえます。草履を温めた藤吉郎はただのゴマすりだったのか、ぜひ第2話を読んで確かめてみてください。Manga Portalの『太閤記 ―豊臣秀吉の生涯―』は全話無料で、会員登録なしで読めます。

この話の登場人物

木下藤吉郎(きのした とうきちろう)
のちの豊臣秀吉で、尾張中村の低い身分から信長に仕え、働きで認められていく主人公。
織田信長(おだ のぶなが)
清須城を拠点とする尾張の領主で、身分の低い藤吉郎を働きによって取り立てる主君。
筑阿弥(ちくあみ)
藤吉郎の父として語られる中村の住人で、実の父か継父かは資料によって異なる。
藤吉郎の母(とうきちろうのはは)
太陽が懐に入る夢を見て藤吉郎を身ごもったと語られる人物。
松下嘉兵衛(まつした かへえ)
信長に仕える前の若い藤吉郎を召し抱えた遠江の武士。
ねね
通説で藤吉郎の妻とされる女性で、「おね」など名前に諸説があり、原典での扱いは未確認。

よくある質問

豊臣秀吉が信長の草履を懐で温めた話は本当?

実際にあった出来事だとは確かめられておらず、原典にはない後世の逸話と考えられています。漫画第2話の草履の場面も脚色で、巻末の注にそのことを書いています。

清須城の塀の修理とはどんな話?

なかなか終わらなかった清須城の塀の工事を藤吉郎が引き受け、短い期間で仕上げて信長に取り立てられたと伝わる話です。崩れた長さや日数などの細かい点は、原典での確認が必要です。

割普請とは何?

工事の場所を分けて組ごとに受け持たせ、競わせて進めるやり方です。塀の修理の話でよく紹介されますが、この手法が原典に書かれているかは確認が必要です。

『太閤記』は史実なの?

秀吉の死後に小瀬甫庵がまとめた、読み物の性格が強い伝記です。史実そのままではないので、歴史の記録と物語を分けて読むことが大切です。

秀吉は信長の前に誰に仕えていた?

『太閤記』などでは、故郷の尾張を離れて遠江へ行き、松下嘉兵衛に仕えたと語られます。そこを去った理由は、本によって語られ方が異なります。

漫画を最初から読む(無料)