この話のもとになった物語
太閤記のあらすじ|豊臣秀吉の少年時代と松下加兵衛への奉公
ひとことで言うと: 『太閤記』が語る豊臣秀吉の少年時代は、尾張国中村に生まれた日吉丸が故郷を離れて諸国をさまよい、遠江で松下加兵衛に仕えるまでの物語です。母が太陽の夢を見て身ごもったという話も、小瀬甫庵の『太閤記』に語られています。漫画の第1話は、この流れを骨組みに、旅の冒険や家族との別れを創作で補っています。
『太閤記』に語られる少年時代のあらすじ
『太閤記』は、豊臣秀吉の一生を描いた書物です。小瀬甫庵(おぜ・ほあん)が江戸時代の初め、寛永年間ごろにまとめたとされます。秀吉の物語は、尾張国愛知郡中村、今の名古屋市のあたりから始まります。
中村に住む筑阿弥(ちくあみ)の家に、男の子が生まれます。母は、太陽が懐に入る夢を見て身ごもったと伝えられています。この子が日吉丸(ひよしまる)、のちの秀吉です。生まれた日を天文5年の元日とする語りもありますが、実際の生まれ年には天文5年説と天文6年説があり、はっきりしていません。
貧しい家に生まれた少年は、故郷にとどまらず、諸国をさまよう旅に出ます。やがて遠江国(今の静岡県西部)で松下加兵衛(まつした・かへえ)という武士に出会い、仕えることになります。第1話のもとになるのは、この流れです。
秀吉の少年時代には諸説がある
秀吉の少年時代の話には、『太閤記』とは別の書物から広まったものが多くあります。たとえば、実の父を木下弥右衛門(きのした・やえもん)とし、筑阿弥(竹阿弥とも書きます)を母の再婚相手とする説は、『太閤素生記』(たいこうすじょうき)の系統に見えます。
針を売り歩きながら旅をした話も、同じ系統の言い伝えです。松下のもとを離れた理由についても、よろいを買うお金を預かって尾張へ向かったという話など、いくつかの伝えがあります。
同僚にねたまれて居づらくなったという話もよく語られますが、甫庵の『太閤記』にどう書かれているかは、まだ確認が取れていません。別の書物の話と混ざっている可能性もあるので、確かな事実として受け取らないほうが安全です。
この物語が伝えていること(時代の背景)
秀吉が生まれたのは戦国時代です。争いが続き、力や才覚のある者が身を立てる道が開かれていた時代でした。農村の貧しい少年が天下人になるという筋は、その時代を象徴する物語として語り継がれてきました。
太陽の夢の話は、史実というより、のちの天下人の生まれを特別なものに見せる語りとして読むとわかりやすいでしょう。秀吉の前半生には確かな記録が少なく、そのすき間を物語や言い伝えが埋めてきました。
『太閤記』も、史実をそのまま記録した本とは言えません。江戸時代に読み物として親しまれ、秀吉のイメージを形づくるのに大きな役割を果たした作品です。
漫画版で変えたところ
原典の骨組みとして使っているのは、中村での誕生、太陽の夢の言い伝え、諸国の放浪、松下加兵衛に仕えることです。太陽の夢は、本当にあった出来事としてではなく、「そう伝えられている」という語りの形で描いています。
一方、漫画の創作が大きいのは次の部分です。家族との別れの言葉と気持ち、旅の途中の冒険や食事、松下家での働きぶり、同僚との衝突の中身と、その同僚たちの名前や見た目です。
「持ち物ゼロ」で家を出ること、「言えば勝てるひと言」を飲み込んで去ること、小さなひょうたんひとつで次の土地へ歩き出す結末も、物語を盛り上げるために組み立てた場面です。なお、秀吉にはひょうたんを馬印(戦場の目印)にしたという言い伝えもあります。
漫画で読むには
文章で読むと短い少年時代の話も、漫画では、腹ぺこの少年が口と機転だけで道を開いていく冒険になります。初めて認めてくれた主人のもとを、なぜ去ることになるのか。その場面の表情は、ぜひ絵で確かめてみてください。
Manga Portal の『太閤記 ―豊臣秀吉の生涯―』は、全話無料で、会員登録なしで読めます。天下人になる前の秀吉を知る入り口として、まずは第1話からどうぞ。
この話の登場人物
- 日吉丸(ひよしまる)
- のちの豊臣秀吉で、尾張の中村に生まれ、故郷を離れて諸国をさまよう少年。
- 筑阿弥(ちくあみ)
- 尾張の中村に住む日吉丸の父で、実の父は別の人物とする説もある。
- 母(のちの大政所〈おおまんどころ〉)
- 太陽が懐に入る夢を見て日吉丸を身ごもったと伝えられる母。
- 松下加兵衛(まつした・かへえ)
- 遠江の武士で、放浪していた少年を召し抱えた主人。
- 松下家の同僚たち(まつしたけのどうりょうたち)
- 漫画で少年と衝突する奉公人たちで、名前や性格は漫画の創作。
- 織田信長(おだ・のぶなが)
- 尾張の若き領主で、のちに秀吉が仕えることになる主君。
よくある質問
『太閤記』とはどんな本?誰が書いた?
豊臣秀吉の一生を描いた書物で、小瀬甫庵が江戸時代の初め、寛永年間ごろにまとめたとされます。読み物としての性格が強く、書かれていることがすべて史実とは限りません。
豊臣秀吉の子どものころの名前は?
『太閤記』では日吉丸と呼ばれています。広く知られた名前ですが、秀吉の幼いころの確かな記録は少なく、物語の中の呼び名として受け取るとよいでしょう。
秀吉の父は筑阿弥?木下弥右衛門?
小瀬甫庵の『太閤記』では、筑阿弥の子として語られます。一方、『太閤素生記』の系統には、実の父を木下弥右衛門、筑阿弥(竹阿弥)を母の再婚相手とする説があります。
松下加兵衛とはどんな人?
遠江にいた武士で、放浪していた少年時代の秀吉を召し抱えた人物として語られます。実名を之綱(ゆきつな)とする説明もありますが、人柄の細かなところまではよくわかっていません。
秀吉が針を売って旅をしたという話は本当?
針を売り歩いた話は『太閤素生記』の系統に伝わるもので、事実かどうかは言い切れません。少年時代の秀吉には、こうした言い伝えが数多く残されています。
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