第2話自分の死体を引き取りに行った男粗忽長屋
落語傑作集の第2話。早とちりのハチは、行き倒れを隣に住む親友のクマだと思い込む。「今朝会ったんだろう」という正論も勢いではねのけ、本人を連れてきて「自分の死体」を引き取らせるが、泣きながら抱き上げたクマは最後に答えの出ない問いにぶつかってしまう。



















最後まで読んでくれてありがとう!
高級店の料理より、道端の焼き魚がうまい――世間知らずの殿様が見つけた『本当の味』。
落語傑作集の第2話。早とちりのハチは、行き倒れを隣に住む親友のクマだと思い込む。「今朝会ったんだろう」という正論も勢いではねのけ、本人を連れてきて「自分の死体」を引き取らせるが、泣きながら抱き上げたクマは最後に答えの出ない問いにぶつかってしまう。



















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この話のもとになった神話
「粗忽長屋(そこつながや)」は、江戸の町で語り継がれてきた古典落語の一つです。「粗忽」は、そそっかしい・早とちりという意味です。「長屋」は江戸の庶民が暮らした共同住宅で、一つの細長い建物を壁で仕切り、何軒もの家族が並んで住んでいました。
題名のとおり、この噺に出てくるのはそそっかしい長屋の住人たちです。早とちりの男と、その男に言いくるめられる隣人が、生きている人間が「自分の死体」を引き取りに行くという、ありえない騒ぎを起こします。
そそっかしい男が浅草の観音様へお参りに行くと、人だかりができていました。のぞいてみると行き倒れ(道ばたで亡くなった身元の分からない人)があり、世話をしている人が「この人を知っている者はいないか」と見物人に声をかけています。男は死人の顔を見るなり「これは同じ長屋の熊だ」と言い出しました。
世話人は「この人は昨夜からここに倒れている」と言い、男自身も「今朝、熊に会った」と口にするので、話はまったくかみ合いません。それでも男は「熊はそそっかしいから、自分が死んだことにまだ気づいていないんだ」と言い張り、本人を連れてくると言って長屋へ駆け戻ります。
「お前は浅草で死んでいる」と言われた熊は、はじめは首をかしげますが、結局は言いくるめられて納得してしまいます。熊が納得する理由づけは、演じる噺家によって違います。二人で浅草へ戻ると、熊は「自分の死骸を引き取りに来た」と名乗り出て周りをあきれさせ、死体を自分だと思い込んで嘆きながら抱き上げます。そして最後に、ふと考え込んでしまうのです。
落語は、一人の噺家(はなしか)が座布団に座ったまま、扇子と手ぬぐいだけを道具にして、登場人物全員を声や顔の向き、しぐさで演じ分ける日本の話芸です。扇子は箸や筆に、手ぬぐいは財布や手紙に見立てます。「寄席(よせ)」と呼ばれる演芸場で数百年にわたって受け継がれてきました。話の最後には「サゲ(オチ)」という決めの一言が置かれます。
この漫画は、明治・大正期の落語の速記本(話をそのまま文字に書き起こした本。演者は1930年までに亡くなった噺家)で筋を確かめたうえで、台詞や場面は私たちが自分たちで書き下ろしました。行き倒れを熊だと思い込むこと、「昨夜から倒れている」と「今朝会った」の食い違い、本人を連れてきて死体を抱かせる結末、そして最後の一言は、原典どおりです。
一方、漫画で足したのは次のような部分です。ハチとクマの顔立ちや着物、浅草の境内の景色、寝ぼけたクマや長屋の小道具、浅草と長屋を走って行き来するドタバタ、見物人がずっこけるなどの反応がそれにあたります。行き倒れは、むしろをかけた輪郭や周りの人の表情で示し、生々しくは描いていません。また、冒頭と結びに登場する噺家・笑門亭福来は、このシリーズのために作った架空の語り手で、原典には出てきません。
最後の一言は「抱かれているのは確かに俺だが、抱いている俺はいったい誰だろう」です。おかしいのは、熊が「自分はもう死んでいる」という一番おかしな思い込みを、最後まで疑わないところです。
生きている自分と死体の自分が同時にいるという矛盾に、熊はやっと気づきかけます。それなのに「あれは俺じゃない」とは考えず、「では抱いている方は誰なんだ」と、筋道だけはまじめに悩み始めます。早とちりの友達に言いくるめられた男が、まっとうな理屈で見当違いの問いにたどり着く。そのずれが笑いを生みます。同時に「自分とは誰か」という不思議な問いにも聞こえるところが、この噺のもう一つの味わいです。
Manga Portal の『落語傑作集 ―笑いの十二席―』は、全話無料で、会員登録なしで読めます。第2話「自分の死体を引き取りに行った男 ―粗忽長屋―」では、ハチの勢いとクマの困り顔、そして最後の一言を、絵ならではの間(ま)で味わえます。落語を聞いたことがない人の入り口にも、ぜひどうぞ。
熊は「自分は死んだ」という思い込みを最後まで疑いません。そのまま「抱かれているのは俺だが、抱いている俺は誰だ」と、理屈だけはまじめに悩んでしまうところがおかしいのです。思い込みと正しい筋道がちぐはぐにかみ合う笑いです。
そそっかしい、早とちりという意味です。落語には、うっかり者が騒動を起こす「粗忽者」の噺がいくつもあり、「粗忽長屋」はその代表的な一つです。
話の始まりは、浅草の観音様の近くで見つかった行き倒れの人だかりです。そこと、主人公たちが住む長屋とを行き来しながら話が進みます。
そそっかしい友達に「お前は浅草で死んでいる」と強く言われ、言いくるめられてしまったからです。熊が納得する細かい理由づけは、演じる噺家によって違います。
行き倒れを熊だと思い込むところから、最後の一言までの筋は原典どおりです。キャラクターの見た目、ドタバタの演出、架空の噺家・笑門亭福来の語りは、漫画で足した部分です。